松本市の新春の恒例行事「松本あめ市」。その歴史は古く約450年前、戦国武将・上杉謙信が敵対する武田信玄に塩をおくったとする有名な故事が由来とされています。
日本で一番あめの生産が盛んだったまちとしてその名が知られていました。
新人の中野希友未アナウンサーがあめ文化にふれます。
松本に3軒ある老舗飴店の中で最も古いのが「山屋御飴所」。
1672年(寛文12年)創業。工場の建物は数年前に建て替えましたが、昔ながらの製法を守り、あめを作っています。看板商品の「板あめ」は米を原料にした水あめを煮詰め、香ばしくいったピーナッツをたっぷり混ぜます。松本であめ文化が発展した理由について13代目の太田喜久さんは「米どころ安曇野が近く、市内にきれいな水が湧くなど材料に恵まれていたこと、乾燥した気候があめづくりに向いていた」と教えてくれました。
松本のあめの歴史や製法を知った中野アナウンサーは、あめづくりを体験。
最初は温かく柔らかいあめも時間がたつにつれあっという間に硬くなり、思うように作業が進みません。悪戦苦闘しながらも出来上がったあめは…?
去年、国宝に指定された旧開智学校。学校に残された大正時代の子ども日記や、学校日誌にもあめ市の記述を見つけるとことが出来ます。商人のまちで開かれたあめ市、当時から大切な行事だったことが垣間見えます。