
– 現存12天守のひとつ『国宝 松本城』 –
松本市のランドマーク『松本城』。その天守は1593年、初代城主・石川数正の普請にはじまり、翌1594年に数正の子・康長が完成させたと言われています。現在まで、400年以上の風雪に耐えながら築城当時のままの姿を残しているとあって、年間の観光客数は95万人。とくに近年は “外国人が選ぶ日本の名城” の中でもトップクラスの人気を誇る “国際観光スポット” になっています。信州で暮らしていると、つい「あたりまえの風景…」と感じることが多いかもしれませんが、これほど多くの人々を魅了し続けているのは紛れもない事実。
そこで今回は、平沢アナウンサーが松本城と城下町の散策へ。自他ともに認める “歴史オンチ“ ではありますが、学芸員の方に城内を案内していただくと、じつに興味深い史実やウラ話が続々と出てくるのです。例えば、大天守には外からは見えない部屋があること、外壁に開けられた無数の四角い窓の使い方、黒い外壁に漆が使われていることは戦後になってから判明したこと…などなど。その中のひとつに、こんなお話が…。「もしかしたら、松本城は取り壊されていたかもしれない」(学芸員談)。
時代は明治初期…。維新後に政府が出した『廃城令』により、全国各地では城や寺が次々に取り壊されていました。松本城も例外ではなく、競売にかけられた大天守は235両(現在の400万円)で落札され、建築資材にするための解体計画は着々と進められていました。しかし、この時に「城がなくなったら松本は骨抜きになる」と危機感を募らせ、窮地を救った人物がいたのです。松本城すぐ近くで生まれ育った市川量造。彼は城の危機にどのような策を講じたのか…。
また、明治中期には本丸庭園が意外な姿で使われていたことや、老朽化が進む天守の改修に乗り出した人物の ”松本城愛” といったエピソード、そしてなにより…松本城の保存に携わる漆職人の方からは歴史的新発見が!?それは、お城の外壁に漆塗りを施すため、定期的に屋根に登る職人さんだからこそ知り得たこと。そして400年以上のあいだ、誰も気付いていなかった(かもしれない)先人の心意気。「スゴイ話を聞いちゃいました!!」(平沢アナ談)。
そして、知れば知るほど、現在まで “城主なき城” が在り続けているのは、ほかでもない “松本市民のチカラ” あってこそ…ということがわかってくるのです。
