木曽路を代表する観光名所
中山道69次のうち江戸から数えて42番目にあたる「妻籠宿」。ココは、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わってきた場所で、江戸時代の最盛期には本陣、脇本陣のほかにも、大小あわせて30軒以上の旅籠が軒を連ねていたそうです。
現在の観光客数は年間45万人。全長1キロほどの町並みに、日本の原風景、江戸時代の面影が感じられるとあって、近年は外国からの来訪者も急増しているんです。
衰退の歴史と人々の“妻籠愛”
妻籠宿は、1976年に全国初となる国の『重要伝統的建造物群保存地区』のひとつに選定されました。評価されたのは『経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消していく中で、いち早く地域住民が一体となり景観保全活動に取り組んだ』こと。
しかし、いまでこそ “日本の宝物” というにふさわしい妻籠宿なのですが…決して、昔もいまも、常に多くの人々で賑わい続けてきた…というワケではありません。
じつはほんの半世紀ほど前には “過疎の危機” に直面し、集落の存続すら危ぶまれた歴史があるのです。その頃の妻籠宿の衰退は『軒は傾き朽ち果てん…』と例えられたほど。
でも、それが本当ならば、小さな宿場町はどのように時代の波に抗い続け、今日のような観光地になることが出来たのでしょう。