吉田一平ブログ

あの日から10年(吉田)

大学の春休み中だった、あの日。

大阪の自宅で、学生に与えられた特権に身を任せ 昼が過ぎてもぐうたらしていた、あの日。

遅い昼食を買いに近所のコンビニに行ってマンションに戻ると、玄関ホールのエレベーターが 4基全て運転を停止していた。
「なんやねん、もう」。12階まで息を切らせながら階段をのぼり、アツアツだったのに早くもぬるくなった弁当を食べようと リビングに戻ると、母がテレビの前でかたまっていた。
汗をぬぐいながら、「よお分からんけど、エレベーター全部止まっとって、さいあくや」と声を掛けても返事がなかったので、画面を覗きこむと、「デイ・アフター・トゥモロー」のような映像が流れていた。
「あんた、たいへんなことになったで」。ようやく母が喋った。映画なんかじゃなかった。現実だった。

あの日から10年。
弁当は喉を通らず、地震の、津波の、原発の被害を伝えるテレビの前から離れることが出来なかった学生は、アナウンサーになった。

自分の言葉で伝える仕事をしたいと思った その原点は、まぎれもなく「3.11」です。
あの日から10年を迎えるにあたり、あの未曽有の災害を題材にした小説『少年と犬』で去年 直木賞を受賞された、軽井沢在住の馳星周さんにインタビューをさせていただきました。

なぜ「3.11」を題材にしたのかたずねると、「10年も経つと、10年も経たないうちから、日本人って忘れやすいのか、もう皆話題にもしなくなっていくとかいうところがあって、それは駄目だろうとどっかで思っているんですよね。だから、いつまで経とうと、折に触れて書くぞと」。

「折に触れて」―。心に残った言葉です。馳さんは、作家と言う立場で伝え続ける。そして 自分も、いつまでアナウンサーでいるかは分かりませんが、伝え続けたい。

伝えるということは、想う、考えるということです。
あの日から10年。節目でも、区切りでもないのです。

※取材協力「エロイーズカフェ軽井沢本店」(今月16日から営業再開)
新型コロナの影響もあって休業中だったところ、場所を無償提供してくださいました。撮影したスペースは音楽ホールで現在は使われていないそうですが、素敵な空間でした。エッグベネディクトが絶品だそうです。撮影の前後でコーヒーをいただきましたが、そちらも濃厚芳醇でたいへん美味しかったです。