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長野空襲を語り継ぐ 戦後80年で初めての証言

これまで一度も話してこなかった…80年の時を経てようやく人前で語った戦争体験。その言葉の先には当時の自分と同年代の中学1年生の姿がありました。

終戦の2日前、80年前の8月13日、長野市は米軍の7度に渡る空襲に遭いました。47人が犠牲になったとされる長野空襲です。小野塚健夫さん(91)は、当時11歳でした。

■小野塚健夫さん
「同級生のN君が川合新田の一家全滅の犠牲者で大ショックでした。そんなことから空襲のことは語りたくないと口を閉ざしました。80年間ずっとこういう所で話すのはしてきませんでした」

空襲の標的になった長野飛行場の近くに住んでいて同級生を空襲で亡くしました。90歳が近付き自分の体験を孫たち、後世に伝えようと決めました。

■小野塚健夫さん
「80年どこにも書いたり喋ったりしなかったけど、俺もやってもいいんだなと思って伝田さん(主催者)にお返事して、きょうここに立たせていただいたわけです」

会場には、真剣な表情で話を聞く中学生の姿がありました。

■小野塚健夫さん
「姉と二人で「漫画を見てるみたいだね」と言って眺めていました。そうすると急降下爆撃をやってくるわけですね」

80年前、小野塚さんは姉と2人で縁側に座り、飛来する米軍機を見ていました。

■小野塚健夫さん
「一直線に掩体壕(軍用機の格納庫)に向かってまっすぐ下りてまいります。途中でロケット弾を放します」「その後がすごいわけです。まず真っ赤な火柱が10mくらい吹きあがります。そのあと真っ黒な黒煙がぐーんと50メートルくらいまでいきます」

小野塚さんと姉は、母親に怒鳴られ防空壕に避難しましたが、後に東京から疎開して来た同級生が亡くなったことを知りました。

■小野塚健夫さん
「戦争というものは勝者も敗者もないどちらも犠牲者ばっかり悲しむ人ばっかりをつくる行いだ戦争なんてものは絶対やっちゃいかんね」

当時の小野塚さんと同年代の12歳。この「長野空襲を語り継ぐ会」が40年前に発足したきっかけとなった裾花中学校の生徒です。

■生徒
「自分たちと同じ年代で友達を亡くしたら自分は耐えられないと思うので話を聞けて良かった」

■生徒
「家族とかクラスのみんなに伝えていきたい」

80年越しに体験を話した小野塚さんは…。

■小野塚健夫さん
「重荷が降りたって感じで本当にほっとしてるよ」「いま戦争がテレビに結構出てるでしょ。ウクライナとかあの場面を見るたびに思い出すよね全く同じだから」「見ていて悲惨で大変なことだと思うけど、こんなことしてちゃいけないなということだけはしみじみ思う毎回ね」

長野空襲。沈黙を破った91歳の体験は12歳の中学生にも届けられました。