坂城町銃撃事件から5年 家族を失った男性の思い
5年前の5月2日、坂城町の住宅に暴力団の男が押し入り、2人が拳銃で射殺される事件がありました。この事件をきっかけに県内で制定が始まった「犯罪被害者等支援条例」。5年が経ち、ようやく今年度中に県内全ての市町村で制定される見通しです。
■市川武範さん(60)
「こんな人生になるなんて思いもしないし、この5年間をできれば杏菜と直人と一緒に生きてきたかった」
市川武範さん(60)。当時22歳の長女・杏菜さんと高校1年生の次男・直人さんを亡くしました。
5年前の5月26日午後11時すぎ、市川さんの妻と杏菜さんがいつものように自宅のリビングで過ごしていた時のこと。突然、暴力団幹部の男(35)が金属バットで窓ガラスを割り、侵入し、杏菜さんと、寝室にいた直人さんを拳銃で殺害しました。
■市川武範さん
「杏菜は玄関で、ちょっと待ってと叫びながら私に電話をかけていた。その時私は職場のカギを閉めて家に帰ろうと車に乗り込むところでした。もしもしって聞いたら返事がありません。玄関に来て、ドアを開けたら、左のこめかみから血を流しながらうめき声をあげている杏菜の姿が目に飛び込んできた」
市川さんの家族と男には面識がありませんでした。ただ、事件の2日前、市川さんの長男が同じ会社に勤務する男の元妻と話していたところ、男から一方的に暴行を受けたそうです。元妻ということも知らなかったといいます。
男は、拳銃で自殺を図ったとみられ、リビングで死亡していました。
犯行の動機など事件の真相が分からないまま容疑者死亡で不起訴処分となりました。
市川さんは全国各地で自身の経験を伝えながら、犯罪被害者の支援について行政に訴え続けています。
この事件をきっかけに、県内で初めて坂城町で「犯罪被害者等支援条例」が制定され、その後、県も条例を制定。今年度中には県内の77市町村全てで条例が制定される見通しです。
■市川武範さん
「ありがたいと思うと同時に、遅すぎます。条例を制定して終わりではなく、住民の皆さんへの、犯罪被害者に対しての理解を啓発していくよう求めている」
事件から5年…。今年の3月になって、ようやく自宅の片付けを始めることができました。
■市川武範さん
「ここに、直人へのお年玉の封筒と、この中に直人のお年玉とお小遣いが合わさったお金が残っています。7歳も離れているから、直人を育ててくれたママ代わりは杏菜だった。
宿題を教わるのも姉ちゃんって言って教わっていたし、お小遣いとかお年玉の管理も杏菜にお願いしていた」
市川さんは、今も仕事を始められる状態になく通院を続けています。
犯罪被害者給付金として支払われた680万円や町からの見舞金は、住宅ローンや自営業の仕事場のテナント料などで底を突きました。
現在は妻の年金などでなんとか生活しています。
■市川武範さん
「そういう出来事があったよね、にしちゃうんじゃなくて、なぜそういう犯人を生んでしまったのか、そういうことを真剣に考えてもらいたい」
■市川武範さん(60)
「こんな人生になるなんて思いもしないし、この5年間をできれば杏菜と直人と一緒に生きてきたかった」
市川武範さん(60)。当時22歳の長女・杏菜さんと高校1年生の次男・直人さんを亡くしました。
5年前の5月26日午後11時すぎ、市川さんの妻と杏菜さんがいつものように自宅のリビングで過ごしていた時のこと。突然、暴力団幹部の男(35)が金属バットで窓ガラスを割り、侵入し、杏菜さんと、寝室にいた直人さんを拳銃で殺害しました。
■市川武範さん
「杏菜は玄関で、ちょっと待ってと叫びながら私に電話をかけていた。その時私は職場のカギを閉めて家に帰ろうと車に乗り込むところでした。もしもしって聞いたら返事がありません。玄関に来て、ドアを開けたら、左のこめかみから血を流しながらうめき声をあげている杏菜の姿が目に飛び込んできた」
市川さんの家族と男には面識がありませんでした。ただ、事件の2日前、市川さんの長男が同じ会社に勤務する男の元妻と話していたところ、男から一方的に暴行を受けたそうです。元妻ということも知らなかったといいます。
男は、拳銃で自殺を図ったとみられ、リビングで死亡していました。
犯行の動機など事件の真相が分からないまま容疑者死亡で不起訴処分となりました。
市川さんは全国各地で自身の経験を伝えながら、犯罪被害者の支援について行政に訴え続けています。
この事件をきっかけに、県内で初めて坂城町で「犯罪被害者等支援条例」が制定され、その後、県も条例を制定。今年度中には県内の77市町村全てで条例が制定される見通しです。
■市川武範さん
「ありがたいと思うと同時に、遅すぎます。条例を制定して終わりではなく、住民の皆さんへの、犯罪被害者に対しての理解を啓発していくよう求めている」
事件から5年…。今年の3月になって、ようやく自宅の片付けを始めることができました。
■市川武範さん
「ここに、直人へのお年玉の封筒と、この中に直人のお年玉とお小遣いが合わさったお金が残っています。7歳も離れているから、直人を育ててくれたママ代わりは杏菜だった。
宿題を教わるのも姉ちゃんって言って教わっていたし、お小遣いとかお年玉の管理も杏菜にお願いしていた」
市川さんは、今も仕事を始められる状態になく通院を続けています。
犯罪被害者給付金として支払われた680万円や町からの見舞金は、住宅ローンや自営業の仕事場のテナント料などで底を突きました。
現在は妻の年金などでなんとか生活しています。
■市川武範さん
「そういう出来事があったよね、にしちゃうんじゃなくて、なぜそういう犯人を生んでしまったのか、そういうことを真剣に考えてもらいたい」