新聞に乗らない内緒話

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コラム

震災と「文庫」

本格的に本を読み出したのは、大学生になってからだった。
日刊スポーツに入社してからも3年目までは内勤ということもあり、時間に恵まれた。暇に任せ古書店の均一本など単行本、文庫、新書を買い漁ったのである。ある時は店前の本箱1台、まるごと買ったこともある。
自宅の4畳半はたちまち本で席巻され、およそ2000冊が積み上げられた。その頃、知人の紹介で、宮城県の高校にこれらを寄贈する機会を得た。
東日本大震災から1年ほどが経っていた。
ただし、本は書き込み、傍線で汚れており、それらを寄贈するのはいかにも気が引けたが、確認すると「それでも良い」との、相手からの早急な返事であった。
送り先の、高校の名前は忘れてしまったが、後日校長名で「図書室に棚を設け、『文庫』として活用させていただく」との礼状が届いたことを記憶している。
震災後直後、私が宮城県東松島市にボランティアとして足を踏み入れたのは初夏も近い頃であったか。約2万4000人のアメリカ軍兵士による大規模な被災地支援活動「トモダチ作戦」が概ね終了。現地が、多地域よりボランティア投入が遅れたのは、その惨状がひときわすさまじかったからで、時折震度6程度の余震もあり、素人には手に負えない現実があった。

それでも側溝の蓋を取り外しヘドロを搔きだし、わずかに残った住宅の床下をスコップで浚(さら)った。水分をタップリ含んだ土のうを運ぶ、一輪車の扱いにも慣れた足掛け2年、通算7回の現地訪問だった。 地盤沈下で、かっての住宅地はひたひたと海水が漂う状態ではあったが、これ以上の物理的な支援は一区切りと判断した。
思い出すのは40歳半ば、日刊スポーツ東北支社(当時=仙台市)に約3年間単身赴任したことだった。その時期に知り合った、閖上(ゆりあげ)在住の友人はいまだ行方不明である。

震災後、故・吉村昭の著書「海の壁 三陸海岸大津波」(のちに「三陸海岸大津波」に改題)が脚光を浴びた。1896年(明29)の大津波、1933年(昭8)の大津波、チリ大地震大津波の3部構成で、三陸海岸各地の大津波を受けての被害状況、人々の行動を克明に記録している。今、あらためて読み直している。
岩手県下閉伊郡田野畑村には村民との親交をきっかけに、吉村が寄贈した蔵書を収容する「吉村文庫」が開設された。震災の津波で約750冊の蔵書は全て流出したが、その後尽力もあり、島越駅駅舎内に文庫は復活している。

(日刊スポーツ I / 2019年3月)

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