新聞に乗らない内緒話

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コラム

初めての「避難」

66歳にして初めて、「緊急避難」を体験した。
台風19号が東京を通過した10月12日、その夜である。東京の南端、多摩川河口近くに私は住んでいる。自宅から10分も歩けば堤防に突き当たる。もっとも土地っ子のくせに水害記憶は極めて心もとない。父親の、強風に備え戸板を打ち付ける姿、茶色に濁った床下への浸水程度しか思い出せない。だから大雨特別警報も、「自分の命、大切な人の命をまもるため」の呼び掛けにもどこか他人事であった。

一変したのは二階に住む、娘夫婦が見せてくれた友人からの画像メールだった。濁流が堤防上部に肉薄する見たこともない風景。タップリ確保された緑地はすでに跡形もない。避難を決断した。時刻は午後6時前後。家族は階上の娘夫婦と私たち夫婦4人だ。浸水を予想し、飼猫4匹を2階へ押し込めた。避難グッズは常にベッド脇にまとめてある。現金、貴重品類(健康保険証、マイナンバーカード、年金手帳など)、ウインドブレーカー2、ラジオ2、電池多数、懐中電灯3、薬品類、スマホ関連機器、衛生用品、老眼鏡2、取材用ペン多数、ノート類(私は記者〝引退〟の身分だが)、ヘルメットなど。

後の作業は家人に任せ避難所へ向かった。徒歩2分の小学校は平成30年竣工、隣接する中学校も28年竣工の最新設備を誇る。1階受付で避難手続き。混雑を予想したが行列は僅か5人。名簿に代表者名、避難者リスト、住所、電話番号を記入すると3階に上がるよう指示された。すでに各部屋は埋まっており、割り当てられたのは広い廊下、毛布を2枚支給してもらいスペースを確保した。家族たちも食料、水、寝袋2、毛布など持参、到着。時折緊急情報を知らせるメールが届く。校内の、全てのスマホが一斉に着信音を響かせた。

午後11時過ぎ、台風が通過したか雨風が弱まる。待ちかねたように住民の帰宅が始まった。「多摩川の増水はこれからです。堤防の階段、上から数段目まで水が来ています。満潮は明日の朝。大規模浸水はこれからです!」と女性の行政担当者が絶叫する。「子供連れは特に危険!」と押しとどめたが、それでも住民の一部は校内を出て行った。わが家は1時間ほど校内にとどまった。日付も変わり、長女が身重ということもあり帰宅させ、私だけ校内に残った。行政担当者から最新情報を入手するつもりで、家族たちには連絡用にスマホを手放さないよう伝えた。

翌朝。満潮時間を過ぎたのを確認、自転車で多摩川に向かう。あふれんばかりの濁流。川側の階段、上から4段目まで泥がこびり付いていた。女性行政担当者の情報は正確で、自宅付近の多摩川はまさに氾濫寸前だった(実際世田谷で越水が起きている)。警句「天災は忘れた頃にやってくる」は物理学者で夏目漱石門下生・寺田寅彦に拠るらしい。「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向」と予測し、「『慈母のごとき自然』と『厳父のごとき自然』」といかに共存するか、永遠の命題だとしている。

(日刊スポーツ I / 2019年11月)

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