新聞に乗らない内緒話

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コラム

赤トンボ、帰るところなし

 「本を制作します。協力してくれませんか」と求められたのは昨年春であった。本、と言っても某航空機関連企業の「社史」であるらしい。
 門外漢でもあるし、それに記事を書くともなれば資料収集、インタビュー、執筆が伴う。5月に68歳になり全てが怠惰になりつつある。気力が萎えている。
 「もう体力がありません」と断り、代わりに50歳代の、脂ののった書き手を紹介した。ところが多忙を理由に交渉が不調に終わったらしい。再びお鉢が回ってきた。
 「面白いテーマですよ。赤トンボですから」と仲介者は付け加えた。赤トンボ?昆虫の?なおさら門外漢である。「違います。飛行機です。あなたぐらいの年代ならば赤トンボくらい、知っているでしょう」。戦後生まれだが、知識としては、ある。
 確か戦前、戦中に〝赤トンボ〟と愛称された練習機があった。二枚羽根の、正式には「九三式中間練習機」と呼ぶ。亡父が土浦航空隊所属(らしい)で、その昔話に登場した。嘘か誠か知らぬが「特攻一番機に搭乗予定で、『我、突入セリ』と最期のモールス信号を送る練習をした」が父の思い出話であった。
 〝赤トンボ〟の愛称は、技倆未熟者の操縦を周囲に知らしめるため機体を黄色(赤味を帯びたオレンジ色であったというが)に塗られたこと、複葉機ならではののどかな飛行ぶりに由来する。
 「赤トンボ操縦術」(野原茂著、光人社刊)という本がある。開いてみると、機体設計図から具体的な操縦方法など今にも飛び立ちそうな記述で埋まっている。それにしても零戦、雷電などの海軍名機ならともかく、よりによって練習機がテーマとは。
 「それは、憧れの海軍〝飛行機乗り〟を目指して入隊してきた若者が、まず、専修コースのいかんを問わず、飛行練習生、もしくは飛行学生として、最初に操縦訓練のイロハを学んだ」機体であり、本書は「当時の海軍航空の一断面を、素のままに示したものであり、搭乗員たちが、どのようにして飛行術を体得していったかを、具体的に把握できる、唯一の資料といっても過言ではない」と筆者は言う。
 末尾に、僅かにこんな記述がある。
 「九三式中練は、凄惨(せいさん)な戦場とは無縁の機種ではあるが、徳島航空隊による編成の神風特攻隊〝第三龍虎隊〟に使用機として、計11機が沖縄周辺海上の米海軍艦艇に突入したことが、唯一の実戦例として残る」
 沖縄戦終結から僅か1ヶ月余り、昭和20年7月に結成された特攻隊はわずか300馬力のエンジン(通常特攻機は2000馬力)に250㌔爆弾を括り付け飛び立ってゆく。片道分の燃料しか積まぬ、羽布張り複葉練習機〝赤トンボ〟が―。
 「海に出て木枯帰るところなし」-山口誓子の句に万感が込められている。

(日刊スポーツ I / 2021年8月)

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