新聞に乗らない内緒話

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コラム

石仏、野ざらし、三島由紀夫

 小さな庭を持っている。
 家屋に沿った、細長い土地で道路側に夾竹桃(キョウチクトウ)が枝を伸ばし、奥まったところの紅葉(モミジ)が色あせ、カサカサと乾いた音をたてると厳冬がやってくる。
 この紅葉のもとに小さな池があり、夏祭りで買ってきた金魚を放った。遠い昔のことで、いつの間にかコンクリートの底にヒビでも入ったか、水をたたえることも無くなった。
 吹き寄せられた枯葉の、ゴミ捨て場然となって池はある日、家人によって埋められた。小景の風情をひとつ失い、平地となったここに石仏、路辺の野仏など据えたらよかろうと思いついたのは、ほんの遊び心である。以来骨董市に時折、足を運ぶこととなった。時代の埃(ほこり)にまみれ、風雪になじんだ石仏らを見かけることもあるのだが、実は二の足を踏み続けている。
 少々高価であることはもちろんであるが、気になるのはその出処である。まさか盗品では困るし、はたしてどなた様が崇(あが)めたものなのか、由緒を知りたい。古物商はそれなりの根拠を口にするが、どうも合点がいかず現在に至っている。 
 石仏、野仏といえば落語「野ざらし」があった。由緒が問われている。
 釣り好きの隠居が向島へ、釣りに出かけたが雑魚一匹かからぬ。諦めて帰ろうとすると傍らの葦原に髑髏(どくろ)が覗いた。「野をこやす骨のかたみのススキかな」と手向けて、
  盛者必滅(じょうしゃひつめつ)、会者定離(えしゃじょうり)
  南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏と
  腰に残った瓢(ふくべ)の酒、骨へかけると気のせいか、
  骨がぽーっと赤くなったので、あー、よい功徳をしたと、
  家へ帰って、寝酒を呑んで、横になった真夜中…
 その骨の幽霊が若い女になって隠居を訪ねてくる。それを聞いた八五郎、「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だって構わない」と無理やり隠居の釣り道具を借り、酒を買って向島へ…そう言えば、向島近く吾妻橋を少々下って両国橋、回向院。別名諸宗山無縁寺。宗旨不明の無縁仏を唯一、祀るのはここである。
 骨といえば昭和46年9月、多磨霊園に埋葬されていた作家・三島由紀夫の遺骨盗難事件が起きている。彼岸の頃、夫人が墓参りした折に異変に気が付いた。ほどなく骨つぼは発見された。墓から至近距離の、公衆トイレ近くの盛土に埋められていたいう。
 その前年11月25日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において切腹と介錯という衝撃的な最期を遂げている。気温13度、晴天の晩秋であった。
 同年12月11日、「三島由紀夫氏追悼の夕べ」が行われている。これが後年の、「憂国忌」の契機となった。

(日刊スポーツ I / 2019年12月)

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