新聞に乗らない内緒話

新聞に乗らない内緒話

コラム

梅雨と信長

6月。昨今の異常気象で季節の趣も怪しいものだが、水無月(みなづき)、涼暮月(すずくれ)、蝉羽月(せみのは)、鳴神月(なるかみ)など古人は美しい呼び名をこの月に与えている。

梅雨のシーズンである。
1582年(天正10)、旧暦6月2日に本能寺の変が起きている。京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した。

信長は、梅雨に因縁がある。
例えば今川義元を田楽狭間で討ちとった奇襲作戦は後梅雨、その豪雨をおかしての挙兵であった。長篠の合戦は梅雨の中休みを利用し、武田勝頼の騎馬隊を蹴散らしている。梅雨によって信長は運を拓いてゆく。
「強力伝」で直木賞、「八甲田山死の彷徨」などで山岳小説の分野を拓いた新田次郎に「梅雨将軍信長」(新潮文庫)という作品がある。長野県上諏訪生まれ。無線電信講習所卒業後、中央気象台に就職。富士山測候所勤務等を経験する異色の作家は信長の最後もまた、梅雨にまつわる奇縁としてとらえる。信長の戦いの陰に「気」を見る男がいた、と。

男はこう予言する。前述と重複、長くなるが、一部引用させていただく。
「殿みずから備中に出馬される件はお取りやめになってしかるべきかと存じます。それがしずっと殿のおそばにおりました経験によると、殿の御運が飛躍する時は必ず温気(梅雨期)中の戦いでありました」
「桶狭間の戦では送温気(後梅雨)の豪雨をねらって今川義元をたおし、長篠の一戦では温気の間休(梅雨の中休み)を利して、武田勢をうちくだきました。そして現在は天下統一ほぼ完成という時になって遠く毛利の大軍と矛を合わせることになりましたが、その今もまた梅雨の候にございます」

ただし「今年は没温気(空梅雨)であります」と男は言い、そして付け加える。「この異常乾燥はきっと誰かを気違いにさせるでしょう。そんな気がします」と。
信長は一瞬、亀山にいる明智光秀を思い浮かべる。雨にひどく憂鬱(ゆううつ)になり、晴れた日は別人のように快活になる男―。

「まさか光秀が」
「人間五十年、下天(げてん。化天とも)の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

謡曲「敦盛」の一節である。信長が好んで、演じた。そして「是非もなし(しかたない)」という言葉を残し、世を去る。
鬱陶しいこの季節、ふと歴史の皮肉に思いをはせてみる。

(日刊スポーツ I / 2019年6月)

★スポーツ、芸能情報は日刊スポーツで。ご購読申し込みはお近くの朝日新聞販売店、もしくは日刊スポーツ販売局フリーダイヤル 0120-81-4356まで