新聞に乗らない内緒話

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コラム

懐かしい名前

 春の風物詩といえばセンバツ高校野球大会。大会前、日刊スポーツを読んでいたら懐かしい名前に出会った。見出しにこうある。「氷見の西川の祖父は王さんの『いとこ』」――
 記事によると、21世紀枠で30年ぶり甲子園出場を果たした氷見(富山)の西川晃成選手の祖父が「ソフトバンク王貞治球団会長と『いとこ』なのだ。(中略)王さんの母登美さんが氷見の出身。王さんも幼少の頃から母の地元を訪れ、深い思い入れを持つという」。懐かしい名前とは王登美さん、2010年(平22)8月16日、108歳で亡くなっている。
 当時、追悼文を書かせていただいた。以下に再掲載してみたい。
 ずいぶん昔の話だが、「王家の人々」というルポを書いた。確か、王さんの巨人監督時代、初優勝の時だから昭和62年ということになる。家族、とりわけ兄弟の証言が欲しくて兄・鉄城さん(故人)にアプローチをかけたが、返事はいつも「ノー」だった。ただし無碍(むげ)ではなかった。「プライベートなことなので誠に申し訳ありませんが、遠慮させてください」と丁寧な言葉が添えられた。
 王さんの姉・大田原順子さんはたった1度の電話取材を快く引き受けてくれた上、その年から毎年、心のこもった年賀状を届けてくれる。「どうか弟をよろしく」―こう結ばれた新年のあいさつは今年で22回を数えた。
 もし、王家に家風というものがあるとしたら、これであろうし、それをはぐくんできたのは父、故・仕福さんであり、登美さんだろう。「周りの人を大事に、決して人に迷惑をかけるな。ここは人様の国(他国)だから」という仕福さんの口癖は異国で生き抜かねばならない人間の、のっぴきならぬ処世訓であったろうが、その言葉をぬくもりのある、人生訓に変えたのは登美さんではなかったか。
 東京は新宿御苑近くの古びたビルが王家の「実家」だった。実用一点張りといった、鉄の扉を開くと仕福さんを祭った、ひと抱えもある仏壇が鎮座している。登美さんは日に一度はこの前へ座り、静かに深く頭(こうべ)を垂れた。小さな、細い肩の持ち主は、立ち上がった拍子に、ひょいと仏壇の中へ吸い込まれてしまいそうだった。
 「お役にたちましたでしょうか」。
 取材が終わると、登美さんは必ずこう問いかけてくれた。
 明治34年、富山県富山市に生まれ、国籍を中国に変えないことを条件に(当時の話だが)、昭和3年、結婚。戦中を耐え、戦後の混乱を生き抜いた。どんな時代であったか、生前にもっと聞いておくべきだった。
 平成22年、盛夏に逝く。享年108―。
 静謐(せいひつ)だが、しかし強靱(きょうじん)たる「王貞治」の母であった。

 【石井秀一】

(日刊スポーツ I / 2023年4月)

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