新聞に乗らない内緒話

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コラム

「恋は、遠い日の花火ではない。」

8月15日―。
私の住む東京・大田区はこの日、多摩川河川敷で盛大な「花火の祭典」を催す。「昭和59年8月15日に世界の恒久平和と人類の永遠の繁栄を願い、平和都市宣言」を行ったという大義名分があるのだが、早朝から巨大なブルーシートで席取りし、夕暮れともなれば雲霞(うんか)の如く押し寄せる人々が当面、「恒久平和」に無関心なのは当たり前で、まあ、そんな無頓着な風景こそ「恒久平和」の証しなのかも知れない。

戦後生まれだから、もちろん戦争は知らないがそれでも子供の頃、駅前にひしめくヤミ市風景を微かに憶えている。掘っ立て小屋の屋根たちは、ひしゃげた焼けトタンで、かさぶたのように地上を覆いその下を駆け回っている時、ふと硝煙を嗅いだような気がした。
国会議員が軽々に「戦争」を口にする時代になった。為政者の、つまらぬメンツの張り合いでとばっちりを受けるのはいつも無名人、花火を愛する庶民たちである。

〈国をまもる〉とか
〈国益〉とかいいます、
そのときの〈国〉という言葉には、
ぼくらの暮らしやいのちは
ふくまれていないはずです。  (「花森安治 灯をともす言葉」河出書房新社発行)

前置きが長くなった。花火の話であった。
日本人で初めて花火を見たのは1613年(慶長18)駿府城の徳川家康と言われている。英国人が持ち込んだ中国製の花火で、空中高く舞い上がるそれではなく筒から火花が噴き出す手筒花火であったようだ。
「徳川実記」によれば三代将軍・徳川家光は大の花火好きで、江戸城内にとどまらず大川、品川まで足を伸ばし見物、花火作りを奨励した。今日日(きょうび)恒例の「隅田川花火大会」、両国川開きは徳川吉宗時代の1733年(享保18)をルーツにしているのはご存じの通り。それ以前から江戸大川端は毎年5月28日から8月28日までの3カ月間、掛け小屋、茶店であふれ、江戸庶民の、夕涼みのメッカであった。

1990年代に放送されたテレビCM、「SUNTORY OLD」に、
「恋は、遠い日の花火ではない。」

があった。同僚たちとの、気の置けない飲み会の帰り道。同じ方向という理由で同道する上司の背中にOL(もはや死語か)が声を掛ける。「課長の背中見るの好きなんです」。「やめろよ」―OLの姿が遠のいたとき、上司役の長塚京三がピョンと跳ねる。「恋は遠い日の花火じゃない」のコピーが流れた。OL役は田中裕子。
今ごろになって、ちょっぴり甘酸っぱいCMなのである。ご同輩!

(日刊スポーツ I / 2019年8月)

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