新聞に乗らない内緒話

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コラム

如月「無頼」の空っ風

 ロイド眼鏡にえんび服。直立不動で東海林太郎が歌っていた。
  男ごころに 男が惚れて 意気がとけ合う 赤城山
  澄んだ夜空の まんまる月に 浮世 横笛 誰が吹く
 ご存じ、「名月赤城山」である。同じ題名で映画(1953年=昭28=新東宝)もあった。国定忠次に大河内傳次郎、板割の浅太郎は10代目岩井半四郎(次女に仁科亜季子)が演じた。
 国定忠次は江戸時代最後の任俠(にんきょう)。本名は長岡忠次郎。国定村(旧東村、現群馬県伊勢崎市)に生まれ、博徒として上州で勢力を伸ばす。義賊としてもてはやされる一面、殺人、関所破りなどを繰り返した。当然幕府の追及も苛烈で、逃げおおせないと悟るや「赤城の山も今宵限り、かわいい子分のてめえたちとも別れ別れになる門出だ」のセリフは後世、講談、新国劇によって脚色され、すっかりおなじみになった。
 忠治は、1850年(嘉永3)12月21日、大戸の関所(現吾妻町)近くで処刑された。忠治の愛人だった徳(とく)が、刑場から遺体の、首と手足を盗み出し、国定村の養寿寺の住職貞然(ていねん)に首をあずけた。貞然はそれを寺に埋葬する。いま養寿寺に残る忠治の墓はこれに由来すると言われる。
 江戸関八州の上野(こうずけ)、下野(しもつけ)は今の群馬県、栃木県にあたる。とりわけ上野はかかあ天下、雷、そして空っ風で知られる。師走の磔(はりつけ)は名物「赤城おろし」の、すさぶ風の中にあったろう。
 詩集「月に吠える」の代表作で知られる群馬県出身詩人、萩原朔太郎は「国定忠次の墓」一編を残している。
 わがこの村に來りし時
 上州の蚕すでに終りて
 農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。
 太陽は埃に暗く
 悽而(せいじ)たる竹藪の影
 人生の貧しき慘苦を感ずるなり。
 見よ 此処に無用の石
 路傍の笹の風に吹かれて
 無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。(「しきみ」とは敷居にあたる横木)
 1930年(昭5)冬、朔太郎は父を看護して故郷にいた。ひそかに家を抜け出し、自転車にまたがり烈風を突いて墓に詣でる。荒寥たる寒村の路傍に1基。「無頼」はやはり赤城おろしの、風の中にあった。

 【石井秀一】

(日刊スポーツ I / 2023年2月)

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