新聞に乗らない内緒話

新聞に乗らない内緒話

コラム

失うものと、得るものと。

 禁酒も禁煙も、宣言をした覚えはないがいつの間にか日常となった。
 酒は、定年退職したのがなにより痛い。仕事帰りの一杯が無くなった。通勤をしないのだから当然である。加えてコロナで、外で吞む習慣が消えた。元来、家吞みはしないから自明であろう。
 煙草はちょっとしたきっかけであった。
 昨年7月半ば、うっかり扇風機をかけたままひと晩寝過ごしたら風邪でもひいたのであろう。咳がひどくなり翌日、眠れなくなった。あまりにも喉が痛いので煙草を控えたらそのままになった。半分ほど残った煙草が抽斗に放り込んだままで、時に誘惑に駆られるが「まぁここまで我慢したのだから」と手を伸ばさない。
 そういえば昨年元日の、日刊スポーツ「南令穂の0学占星術」に「7月、12年に一度のビッグチャンス到来」とあった。煙草と縁が切れそうになった時、ひょっとして12年に一度」とはこのことであるまいか、と考えた。何しろ興味本位とはいえ中学生のガキの頃から70歳までプカプカ吸い続けてきたのである。ここでたばこをやめることが大きな「ビッグチャンス」なのではあるまいか。チャンスとは自分からつかみ取りにいくもの、そして老人にチャンスなぞ、そうそう巡っては来ない。
 煙草をやめれば月々およそ5千円程度の出費が消える。年間6万円の節約である。おまけにたばこをやめたらなぜか10年以上苦しんできた皮膚病が改善した(因果関係は不明だが、医者からはいつも禁煙を申し渡されていた)。ボロボロの皮膚が少々滑らかになって、ついには銭湯に恐る恐る通うようになった(客の少ない早い午後だけだが)。まったく、老人の幸せとは身の回りの、小さな機会を見逃さないことである。
 年を取ると言うことはこういうことか。いつの間にか、日常の当たり前が、何げなく失せてゆく。それを実感させられる。別に嘆くわけでもない。年相応と割り切れば何のこともない。
 さて、このコラムも多分15年ほど書き連ねてきたがどうやら潮時であろう。最近は書いていてもさっぱり面白くない。かつては、ちょっとしたきっかけさえあれば筆が走った。書き出しさえすればストリーが付いてきた。それが今、書き終えて読み直してみて「へたくそになったなぁ(もともと巧くはなかったろうが)」と毎回感じるばかりである。
 2年ほど前から始めた俳句がささやかな救いになっている。奥の深いこの文芸は、定年後の持てあましていた時間を埋めてあまりある。
 インターネットや、ボランティア先での俳句同人会など、締め切りに尻を叩かれながら投句をすれば時によってはほめられる。年寄りの、何よりの救いは人からほめられること、自分を認めてもらうことなのだ。

 【石井秀一】

(日刊スポーツ I / 2024年2月)

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