新聞に乗らない内緒話

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コラム

嗚呼、新「厄年」

菩提(ぼだい)寺の寺男が冊子を届けてくれた。来年の暦である。毎年のことだが、年の終わりの、歳時記といってよい。
パラパラと手繰ると日々の七曜、干支、二十四節気(にじゅうしせっき)、年齢早見表など変わりばえのない項目が並び、ふと気が付くと「厄年早見表」がとじ込まれている。
言わずもがなだが、一般的に厄年は女子が十九歳、三十三歳(大厄)、三十七歳、男子は二十五歳、四十二歳(大厄)、六十一歳(いずれも前厄、後厄がある)となっている。
災難や不幸に出会うことが多い男女の年齢を指す。なるほど、昔の人は聡明(そうめい)であった。
「厄年」は、平安時代の陰陽道にもとづいて広まったものだが、とりわけ大厄となれば体調はもちろん、社会的な役割など生きづらい年回り、であろう。
そう言えば「源氏物語」の若葉の巻、紫上(むらさきのうえ)が三十七歳の厄年に大病を得、光源氏寵愛の人、藤壺の宮はこの歳で世を去っている。
退社から半年、六十五歳の当方はどうやら「厄年」も卒業、と考えてはみたがどっこい、そんなに世間は甘くない。昨今「人生百年」などと言われるが、例えば江戸時代の男女平均寿命は四十五歳、大正末期、昭和初頭で四十六歳、終戦直後の昭和二十二年が五十二歳といわれ、2007年(平19)の男女平均寿命は八十歳を超えた。
ひょっとして寿命が延びた分、「厄年」も追いかけてくるのではと怪しんだら、やはり図書館の本棚にあった。
「63歳で健康な人は、なぜ100歳まで元気なのか」(講談社+α新書=板倉弘重著)で、サブタイトルに「人生に4回ある『新厄年』のサイエンス」とある。関心のある方は一読すればよい。まぁ、長生きをすればさまざまな問題を抱え込むのは当たり前だが。
それにしても「新厄年」、である。当方の厄は、落ちていなかったようだ。
超高齢化社会到来、その行く末は新聞、テレビ、雑誌で喧伝されるとおり。荒唐無稽な記述もあり、むやみに恐れることもあるまいが、さりとて無関心でもいられない。
何やら不安になって、いただいたばかりの暦をめくり、来年の運勢を調べてみた。運気衰退、6月ころに異変ありとある。
思い当たる節がある。
娘夫婦(ついでに大猫一匹)が来年、わが家の二階に引っ越してくる。長男が独立し、夫婦二人だけの生活が続いたが、平穏な日々もどうやら今年が最後らしい。二階ベランダがサンルームへ、知らぬうちに改造され、エアコンを新調せねばと家人からせっつかれている。いずれも娘からのリクエスト、ということが判明した。
嗚呼「新厄年」は、目前に迫っている。

(日刊スポーツ I / 2018年12月)

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