新聞に乗らない内緒話

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コラム

名もなく、貧しく、美しく

 秋とは名ばかりの9月。暑い盛りです。
かつてこの季節、旅行中の、車窓から案山子(かかし)を見かけた。最近はめっきり減りました。
 詩人・川崎洋さんの童話に「ぼうしをかぶったオニの子」があります。ストーリーはざっと、こんなものだったろうか。
 いつも帽子をかぶっているオニの子が、初めて人間の子どもたちのかくれんぼに交ぜてもらいます。ただし、オニになるのが条件です。ところが、目隠しをして「もういいかい」と言っているときに風が吹き、帽子を吹き飛ばしてしまいました。オニの子だと知った子どもたちはあっという間に逃げ帰ってしまいます。
 ひとりぼっちのオニの子が帽子をぎゅっとかぶるのは、頭の上の角を隠すため。遊び友だちを失ったオニの子は泣きだします。そして傍らのカカシに声を掛けます。
 「ねぇ、僕と遊んでくれない?」。
 カカシはこう答えます。
 「そんなこと言ったって無理だよ。ぼくはカカシだから♪あーさから ばーんまで ただ立ちどうしさ、走ることも歩くこともできやしない。だから鬼ごっこも、ぼくにはできないんだ」。
 オニの子は、自分よりもっと悲しいカカシに初めて気がつきます。
 オニの子は、カカシがたたずむ田んぼの中に入ります。カカシと並んで1本足で、背筋を伸ばして、ピンと両腕を横に伸ばします。そのままの形で、カカシとしりとりをしたり、なぞなぞをしながら遊びます。
 夕日を浴びて、2体のカカシが立っています。

 「カカシバイブル」(東京書籍刊)という著書を持ち、日本全国の案山子を収集した写真家、コピーライターのピート小林氏はこう語る。
 「戦後の日本社会の空気がすっかり入れ替わり、ある限界に達している。そして『無意識の時代』と言われる状況下、20世紀の日本の匂い・臭いは加速度的に遠ざかっていく」
 「金太郎あめを切ったように、どこもがピカピカ・ツルツルな〝デオトラント日本〟に変貌するムードの中、モノも言わずじっと耐えて、さえざえと暮らしているのは、昔も今も案山子たちが生息する名もない地方なのだ」
 「そこにはワビもサビもなければ、テレビ番組などがはやし立てる温泉も名料理も銘酒も、おそらくない。在るのは、日本人の心の奥底で久しくかくれんぼしていた心象風景であり、痕跡のような原風景である。そう、名もなく、貧しく、美しく」―。

 【石井秀一】

(日刊スポーツ I / 2023年9月)

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