新聞に乗らない内緒話

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コラム

受験勉強禁止

 子供の時から物覚えが悪かった。
 だから受験では苦労ばかりしてきた。記憶力が物を言うのがこの世界で、国語、世界史、日本史、英語だって単語を憶えていなければ解答は導き出せない(理系は、もちろん手も足も出なかった)。前日まで必死で頭叩き込んできたはずが試験会場でフッと真空地帯の迷い込んだようで何も思い出せなくなってしまう。
  ただただ丸暗記と受験テクニックのはびこる受験体制に懲りたせいもあり、我が子2人には受験勉強を禁止した。日ごろの授業を真っ当に受け、中間、期末など定期試験にそれなりの成績を上げていれば「推薦」で進学できるはずである。
 従順な?彼らは高校も大学も「推薦」一本であった。受験勉強とは無縁なまま社会人になった。長男は、世間で言う一流大学ではないが取りあえず卒業し、紆余(うよ)曲折はあったが現在養護施設の職員として働いている。
 長女も進学したが大学1年生で退学、ワーキングホリデーを利用しニュージーランド、オーストラリアで語学を学び、外国人相手の運営会社に就職した(結婚、出産を経てただ今育児休暇中だが)。
 一流大学を目指すのはもちろん悪いことではないが、名門を卒業すればその後の人生が保証される、そんな時代はすでに夢物語になった。要は何のために学ぶのか、その目的意識なしに受験勉強などは無駄に他ならない。そうは言っても当面、合格を目指す以外に選択肢を持たぬ受験生にとって今は聞こえない話であろうが。
 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」と言ったのは福沢諭吉で、「学問のすゝめ」にある。遠い昔、学生時代に読んだ。改めて読み直してみると新たな発見があった。「天は人の上に―」に続く記述で、長いが引用する。
 「されど今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。(中略)されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由(よ)って出来(いでく)るものなり」
 つまり「人は生まれながらにして貴賤(きせん)貧富の別なし」とは言いながら、その一方で学問を修めなければ当然格差は生まれる、だから「学問のすゝめ」なのである。
 定年退職から2年。図書館に入り浸り本ばかり読んでいる。ありがちな暇つぶしである。ただサラリーマン時代には決して手を出さなかったであろう本にも食指が動くようになった。実利一本やりの読書に変化が出てきた分、新たな物の見方、発想が湧いてきたような気がしている。
 知識の蓄積を誇っても意味がない。知識から智恵を生みだしてこそ学問であろう。

(日刊スポーツ I / 2020年2月)

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