新聞に乗らない内緒話

新聞に乗らない内緒話

コラム

受験シーズン余話

 受験シーズンである。

 こんな季節が私にもあった。高校の入学試験(9科目もあった)。都心には珍しい大雪。それだけで気分は十分萎えたが、あろうことか受験会場は古びた校舎で、指定された窓際席の、木製の窓枠は下隅が割れて、欠けていた。その隙間から容赦なく雪が吹きこんだ。

 室内の暖かい空気に触れ、舞い降りたそれらは点々と答案用紙のシミとなった。左手で雪を払いつつ、右手で鉛筆を走らせたのが何よりの思い出である。なにしろ子供の頃から物覚えが悪い。理数系はもともと肌に合わないのでパス。国語はなんとか追いついていたが、日本史、世界史、地理など記憶力の物を言う科目は緊張すると頭の中が真っ白になった。思わず拳骨で叩いてみたが何も出て来なかった。塾に通う経済的余裕もなかったので出題ポイントを絞れなかったのは致命傷であろう。
 というわけで入学試験は常に、惨敗であった。

 もっとも、まがりなりにもサラリーマンを40年も過ごしてみると、テストの善し悪しではかる能力など知れたもので、世間の求めるそれは正解のないものばかりで、かつての「受験落第生」は生存の可能性を確信し、溜飲を下げた。

 「入学試験は全科目まんべんなくやるやつが勝つ。五科目あるとして全部八〇点とれば四百点でらくらく合格する。世の中には一科目は百点以上だがあとは全然ゼロというやつがある。これは学校に入れない」

 「ところがこの世は分業だから、世に出たとき、だれもその道に於いて八十点のやつを珍重しない。百点乃至それ以上の人のところへ仕事も人も集まる。この方が勝利者となる」

 「むろん、まんべんなく八十点という人が便利な場合がある。政治家とか官吏などはそうではないか。しかしすべての人が政治家官吏になるわけにはゆかない。世に必要な職業の種類と量はそれに数十倍するからである。かくて入学試験にはらくらく合格する秀才でありながら、つまらない恵まれない人生を送る人々がうんといる次第となる」

 山田風太郎の「人間風眼帳」に、上記のような記述がある。

 まぁ、こんなことを受験真っ直中の当事者に説いたところで「聞こえない」であろう。
しかし先日、中学校の同期会があった。かつての優等生も、劣等生もごちゃ混ぜである。
「同窓会 30分で ネタ切れに」 (きみまろ「夫婦川柳」=綾小路きみまろ編)
そんなものなのである。「つまらない恵まれない人生」は日常であり、恥じるものでもない。人生の成否、自慢話にも限界がある。

むしろよくぞこの年まで生き抜いた。平凡な結論を讃えることが先決である。

(日刊スポーツ I / 2018年2月)

★スポーツ、芸能情報は日刊スポーツで。ご購読申し込みはお近くの朝日新聞販売店、もしくは日刊スポーツ販売局フリーダイヤル 0120-81-4356まで