新聞に乗らない内緒話

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コラム

佐渡と、天の川

生まれて初めて、と書いては大仰だが、佐渡を1泊二日、訪ねる機会を得た。
通常ならばJR上越新幹線で新潟、そこから船で両津港が順当だが、今回はJR北陸新幹線開業に伴い新設された上越妙高駅経由で直江津へ向かう。佐渡汽船の新造船、高速カーフェリー「あかね」に乗船、小木港に上陸した。7月3日のことである。

「荒海や佐渡に横たふ天の河」

松尾芭蕉の代表句、その紀行文「おくのほそ道」にある。芭蕉が出羽の国(山形県)から越後路に入ったのは1689年(元禄2)6月25日で、この句は7月7日の、七夕に催された句会で披露されたらしい。新潟県三島郡出雲崎町で構想、直江津で詠んだ(諸説ある)。ちなみに7月7日は旧暦で、今で言えば8月20日頃、夏の句である。
余談ながら出雲崎は良寛ゆかりの地、2007年(平19)7月16日の新潟県中越沖地震では、甚大な被害の出た土地でもある。

今回の、佐渡訪問を機にこの句を思い出した。早速、直江津港の展望台に上り見渡すが、佐渡は遠く、島影すら見えない。引っ掛かるのは、句にある「荒海や」で、冬の日本海ならともかく、夏に「荒海や」は解せない。「確かに夏の日本海は凪(な)いでいるのですがね」と地元民も首をひねる。俳句の世界でも様々な解釈がされ、(出雲崎から)天の川は佐渡上空にはかからない、との意見もある。
いずれにせよ芭蕉の、宇宙的創造とでも言えようか。句の伝える壮大さには遜色がない。
「海は荒海、向うは佐渡よ」と歌う、北原白秋作詞の童謡「砂山」に影響を与えている。
佐渡に上陸し、佐渡金山を訪ねた。ここは17世紀初頭に開山、平成元年の操業停止までの388年間に金78トン、銀2330トンを産出した。芭蕉が冒頭の句を詠んだ元禄2年ころは時代劇でもおなじみ「元禄大判」(金含有率52%)、小判、一分金が広く市井(しせい)に広まっている。

芭蕉が当時、佐渡金山の存在を知らぬはずもないが、彼の句が金山に触れた様子はない。日蓮、世阿弥らが流されたこの地はやはり遙かで、日本海に浮かぶ佐渡を横目に加賀の国へと、随員・曽良とともに向かったことであろう。
佐渡では北前船主の村として栄えた「宿根木」の町を歩き、豊富な魚介類、地元の銘酒「真野鶴」を味わい、天然記念物「トキ」の生態や保護増殖、野生復帰に取り組む「トキの森公園」を歩いた。
北陸新幹線開業で、北陸方面から新潟、佐渡への観光客も増えているとは地元関係者の声であった。

芭蕉のルートとは真逆だが、ここ佐渡の、今年の夏の空は新たな観光客で、例年とは異なる賑わいを醸し出すのかも知れない。
(日刊スポーツ I)

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