新聞に乗らない内緒話

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コラム

マック7・20

 マクドナルドの1号店が東京・銀座に開店したのは1971年(昭46)7月20日。当方、高校生であったはずだが、なにせコッペパンにジャム世代だからハンバーガーなんぞ、意識外である。
 21日付の朝日新聞朝刊は経済面(社会面ではないところがミソか)で「〝本場の味をどうぞ〟 ハンバーガー銀座に進出」とやっている。
 三越銀座1階、中央通り沿いの、ショーウインドーと財布売り場を改装したテークアウト専門店で、広さは22坪だった。
 すでにこの手の店は日本進出を果たしていたようだが、銀座となれば世間の注目も別格であったのであろう。東京のタクシー初乗りが130円の時代に、1個80円だから割高だが、アメリカンスクールの女子学生をアルバイトに動員、人々がわれ先に群がるにぎわいで、「〝新〟立ち食い文化」、ファストフードの隆盛はここを端緒とするのであろう。
 日本マクドナルド初代社長は藤田田(でん=故人)で、東大時代に起業した彼はその手腕で着々と勢力拡大を図った。当初、気乗りのしなかった飲食業界への進出に際し、この1号店を銀座に据えたのは、それなりの成算を見越してのことであった。
 1号店の候補地は銀座、東京タワー、赤坂、茅ケ崎であった。もちろんブランド力のある銀座が最有力なのだが、マクドナルド米国本社は「(米国での)立地は自転車、自動車で立ち寄れる郊外が基本」と主張、クレームをつけてきた。そこで藤田は茅ケ崎をダミーに計画を推進、銀座開店を極秘裏に進めた。銀座でヒットすれば全国が注目する、という持論を信じたのである。
 開店2日前、米国幹部がセレモニー出席のため来日したが、肝心の茅ケ崎は営業許可が降りておらず、しぶしぶ銀座を追認する。以後、曲折を経て日本マクドナルドは急成長、現在の地位を確立することになる。
 それにしても銀座の一等地、それも老舗三越の店内を改装させ出店を実現させたその手腕は、起業当時の藤田が手掛けた宝石、高級ブランド服、装飾品の輸入を通じて知り合った岡田茂(元三越社長=故人)との紐帯(ちゅうたい)ゆえであった、という。
 岡田は82年の、いわゆる「三越事件」で失墜する。愛人とのスキャンダルに起因する突然の社長解任で発した「なぜだ ! 」はこの年の流行語となった。
 それはさておき、当初の1号店はその後、晴海通り沿いに移転するのだが、店先には「マクドナルドハンバーガー 発祥の地 1971・7・20」の記念プレートが誇らしげに掲げられていた。
 銀座店はその後再開発の波にのまれ、2007年(平19)5月31日、22年の歴史を閉じている。

(日刊スポーツ I / 2021年7月)

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