新聞に乗らない内緒話

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コラム

キラキラネーム考

 昨年末から新たなボランティアを始めた。里山や、廃校となった木造校舎を拠点に環境教育を行うNPO法人で、例えば子供キャンプ、親子キャンプなど野外活動もその一環となっている。
 で、事務局で何をしているかというと、子供たちや保護者の名簿作りで、パソコンに氏名、住所、家族構成などデータを打ち込む。驚いたのは子供たちの、俗に言う 「キラキラネーム」である。どうやったらこんな読み方ができるのか、アニメの主人公のような名前が次から次からと出てくる。子の幸せを願って、と理解したいが、それにしてもである。
 そんな風潮を分析する本に出会った。「キラキラネームの大研究」(伊東ひとみ著=新潮新書)。一読をお勧めしたい。
 例えば、明治の文豪・森鷗外(ドイツ留学も経験した)には夭折した次男を合わせると3男2女がいた。それぞれ長男・於莵(おと)、長女・茉莉(まり)、次女・杏奴(あんぬ)、次男・不律(ふりつ)、三男・類(るい)。「オットー」「マリ」「アンヌ」「フリッツ」「ルイ」などフリガナでも振りたくもなる命名ぶりである。まぁ、ここまではよく知られた事実だが、本書の分析はここから始まる。ほんの一部、引用する。
 例えば鷗外が「長男につけた『於莵(おと)』という名前である。この名では「オットー」というドイツ人風の響きに目が向きがちだが、実はここで使われている漢字表記は、中国で儒教の経書のひとつとされる『春秋』の代表的な注釈書『春秋左氏伝』の記述を踏まえている」とし、於莵は「虎に育てられた男」という漢語に由来すると書く。雄々しい成長を願った命名で、キラキラネームにありがちな、単なる音合わせではない。「漢籍の表記に依拠した正統派の文字遣い」であると語る。
 本著を通じて著者はキラキラネームを軽佻浮薄な社会現象と難じているわけではない。ただ「『漢字』が過去との歴史とのつながりを断ち切られ、イメージやフィーリングだけで捉える『感字』になりかけていることは、じつに危うく空恐ろしいことなのだ」と訴える。
 余談ながら「徒然草」の、吉田兼好の記述を紹介したい。
 「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」(第百十六段)。
 要約するなら「見慣れぬ名前を付けることには意味がない。珍しい、変わったものを好むのは教養のない者のやることだ」と読める。「徒然草」は鎌倉末期の作だが、こんな昔から〝キラキラネーム〟は物議を醸していたのかもしれない。
 私の名前は「秀一」で「ひでかず」と読むが、たいがいは「しゅういち」と間違えられる。亡き父母は当初「寿郎」と書いて「じろう」と読ませたかったようだ。もし「寿郎」として生きていたらどんな人世を渡っていたか、想像することがある。

(日刊スポーツ I / 2021年6月)

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