新聞に乗らない内緒話

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コラム

ふたつの「産声」

 JR九州が発行する「旅のライブ情報誌 プリーズ」8月号を送っていただいた。JR九州の新幹線・特急列車車内や各駅で配布されている一冊。この地を旅行された方は、手に取った記憶があるかもしれない。

 メイン記事は「よかとこ くまもと」である。熊本地震から4カ月余り、被災地は復興へ向け、尽力されていることであろう。熊本城を含め、多くの文化財が被害を受けた。

 「夏目漱石内坪井旧居跡」も熊本市内にある。市指定史跡で、調べてみると「外壁一部破損、内壁のひび」という状態であった。熊本城の須戸口門から2キロほどの距離にあり、明治29年、第五高等学校の英語教師として赴任した漱石は、4年3ヶ月の在任中6度転居し、この内坪井の旧居は5番目に移り住んだ場所である。

 ここで明治32年5月31日、漱石と妻・鏡子との間に待望の第一子が誕生している。女の子であった。名前は筆子。初めて父親となった気分を、こう句に託している。

 安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり
 
 海鼠の如き…安産であったのであろう。安堵した心持ちが伝わってくる。妻はこれ以前、流産を経験。情緒不安定な時期もあり、それだけに「産声」を聞いた漱石の思いは格別であったろう。筆子、という名は奇妙? だが、それも理由があった。妻の悪筆から、将来を案じ「字がうまくなるよう」と夫婦で話し合っての命名であった(もっとも、筆子もまた悪筆であったようだが)。

 一方、熊本といえば、日本で初めての近代戦「西南戦争」を思い出す。
 激戦地・田原坂(熊本県植木町)はあまりに有名だが、その折、多数の負傷者を救うための「博愛社」が設立されている。「敵味方の区別なく救護する」、その思想は曲折を経て認められ、後の「日本赤十字社」となり発展してゆく。
 つまりその長い歴史は、ここ熊本で「産声」をあげたことになる。

 熊本地震で被災した南阿蘇鉄道が7月31日、3カ月半ぶりに高森駅(熊本県高森町)と中松駅(同県南阿蘇村)を結ぶ約7キロの区間で運転を再開した。トロッコ列車に乗った観光客の姿がニュースで伝えられる。全線復旧にはまだ時間はかかりそうだが、遅々たるとはいえ、確実に熊本は再生する、その日を待ち続けたい。

(日刊スポーツ I / 2016年9月)

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