新聞に乗らない内緒話

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コラム

「夏秋」と「春秋」

 10月初旬、とあるパーティに招かれた。帰り際、お土産を頂戴した。筒状のそれに、もしやと思い自宅で包みを解いたらやはりカレンダーであった。
 ずいぶん気の早い、とページをめくりながら苦笑いした。
 そう言えばと、暦を手繰ったらもう11月、お酉(とり)さまの季節である。足立区・花畑、淺草は鷲(おおとり)、新宿の花園など各地で酉の市が立つ。今年は11月 5日(木)一の酉、11月17日(火)二の酉、11月29日(日)三の酉と、三の酉まである。熊手が飾り立てられ、祝儀の手締めが雑沓に響く。
 いつの間にか年の瀬は近づいているのである。
 やはり同月13日に、山梨を日帰りした。紅葉狩りが目的であった。私がプロ野球担当時代、取材に当たった某球団の、球団代表を務めた方からのお招きで、1日を楽しんだ。すでに都会での生活に見切りを付け、自宅を売却してこの地で自適な生活を営んでおられる。
 お住まいは北杜市長坂町の「夏秋(なつあき)」。その地名に惹かれたのも事実である。人生の「春秋」を乗り越え、終の棲家が「夏秋」であろうか。
 酒が入り、遠い昔の取材談義に花が咲き、風光明媚(めいび)にひとしきり遊んだ。

 十有三(じゅうゆうさん)春秋
 逝く者已(すで)に水の如し
 天地に始終無く、人生に生死有り。
 安(いづく)んぞ古人に類するを得て、
 千載(せんざい)青史(せいし)に列せん。

 江戸時代の文人・頼山陽、13歳の時の詩である。
 その意は、生まれて「春秋」はや13年、水の流れと同様、時の流れは元へは戻らぬ。天地には始めも終わりもないが、人間は生まれたら必ず死ぬ、と解す。
 末尾の「青史に列せん」、つまり「昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ」とは私にとって無縁だが、その野望や栴檀(せんだん)の例え、やはり大器であったか。
 改めて、手許のカレンダーを繰ってみる。
 私にそれは無機質な、単なる数字の羅列でしかないが、その理科的風景に唯ぼんやりと、明日を感じたのは、先取りされたカレンダーのせいであろうか。
(日刊スポーツ I)

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