新聞に乗らない内緒話

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コラム

「偲び草」と「語り草」

 洋服だんすを開くとスーツが5着、ぶら下がっている。
 サラリーマン時代に購入したものだが、そのうち3着は新品同様である。それもそのはず、殆ど着る機会がなかった。職業とはいえ、スポーツ取材場面ではラフなスタイルが当たり前で、何より機動力が要求された。小綺麗ならば許されたのだから、ネクタイ、スーツの一般に比べれば気楽なものである。
 夏、秋対応の、無難な紺色ばかりのそれらは時折訪れる公式行事などの機会に出番があるだけでその他はタンスの肥やし同然だった。
 残りの2着は黒服である。
 夏、冬対応でずいぶん前にあつらえた。「安物の黒はいけないよ。並んで写真を撮るときに真っ先に分かる。光沢が違うからね」という亡母の言葉に押されて奮発した。ずいぶん重宝したものだが、もっともこの歳になると結婚式など晴れがましい席はまれで(娘の結婚式は貸衣装で済ませた)、黒服の出番はいつも葬儀ということになる。
 先日、知人の葬儀に参列した。オヤッと思ったのはそれが神式であったからだ。「手水(ちょうず)の儀」、斎主(神職)による「祭詞奏上(さいしそうじょう)」、仏式の焼香にあたる「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」など戸惑うばかりであった。
 葬儀後しばらくして香典返し?が届いた(神式では香典はないが、それにあたる御玉串料がある)。見ると、結び切りの水引(掛け紙)に「偲び草(しのびぐさ)」とある。
 ハテ、「偲び草」?と頭を巡らせたら少々、思い当たることがあった。
 織田信長の好んだ小唄に、「死のふは一定(いちじょう)、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすのよ(遺すのよ?)」がある。ここに「偲び草」が出てくる。
 「人間いずれは必ず死ぬ。生前に何をなすべきか。亡き後、皆がきっと思いだし、話の種にしてもらえる偲び草は何にしようか」が大意であろうか。比叡山焼き討ち、楽市楽座…闘争、ワンマン、革新といったところが信長の、私のイメージだが、はたしてそれらが後世に伝わるべき「偲び草」であったろうか。
 ともあれ香典返しに代わる「偲び草」は、後日寄り集まった友人たちの、改めて故人を思い起こさせる縁(よすが)となり、初体験であった神式葬儀の模様はしばし「語り草」となった。
 NHKの大河ドラマ「麒麟(きりん)が来る」は、信長を亡き者とした「本能寺の変」の首謀・明智光秀を通して描かれる戦国絵巻だそうだ。もっとも同じ時間帯の、テレビ朝日系「ポツンと一軒家」がもっぱら私の好みであることは余談である。
 ちなみに「本能寺の変」は1582年(天正10)、旧暦の6月2日に起きている。季節は、夏真っ盛りかと思われる。

(日刊スポーツ I / 2020年6月)

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