かつて”山賊”と呼ばれた猟師たちが闊歩し
もののけ伝説が残る 北アルプス 最奥の秘境 黒部源流
濃密な自然に魅せられ
自ら道を切り開き、山小屋を建てた男がいた
亡き父から山小屋を継ぎ、思いをつなぐ息子がいる
秘境に生き、山と人を結ぶ男たちの物語
北アルプスの最奥部、黒部源流にある山小屋「三俣山荘」。三俣は、かつて辿り着くのに2日以上かかったという秘境。戦後、「山賊」と呼ばれた猟師たちが、小さな小屋を前線基地として利用していた。
松本市出身の伊藤正一は、1945年に小屋を買い取ると、「山賊」達と意気投合、黒部源流の魅力に魅せられていった。ある日、正一は山の中に楽園を見つける。北アルプスを借景にまるで庭園のような光景が広がる「雲ノ平」だ。黒部源流と雲ノ平をもっと多くの人たちに訪れてほしい、正一は三俣の小屋を立て直し、雲ノ平にも山小屋を建てようと決意。三俣に資材を運ぶ為、10年がかりで道を開いた。大町市から一日でたどり着ける最短ルート「伊藤新道」だ。1961年三俣山荘と雲ノ平山荘は完成した。
それから半世紀、正一の長男・圭は荒廃していた「伊藤新道」の復活に動き出した。2021年に1本、2022年に2本の吊り橋をかけ、2023年には途中に避難小屋を建て、登山道として復活させる計画だ。登山道とはいえ、河原を自由に歩き、川を渡りながら自分でルートを見つける「ルートファインディング」が求められる道。レジャー化した登山とは異なり、自らの判断で道を選んで進み、ありのままの自然の厳しさや美しさを体感できる。
「自分の役割は山と人をつなぐこと」と圭は言う。「新・伊藤新道」は、人と自然の関係を考え直すかきっかけとなるかもしれない。
北アルプス最奥の山小屋「三俣山荘」
戦後の三俣の小屋と「三俣山荘」先代主人・伊藤正一
(写真提供:三俣山荘)
「山賊」と呼ばれた猟師たちと伊藤正一の著書
「三俣山荘」へと続く「新・伊藤新道」
伊藤正一の長男・圭が復活に動き出した
ナレーション
松尾スズキ(作家・演出家・俳優)
1962年生まれ 福岡県出身。1988年に「大人計画」を旗揚げ。主宰として、作・演出・出演をつとめながら、宮藤官九郎ら多くの人材を育てあげている。演出家・小説家・映画監督・脚本家・エッセイスト・俳優として幅広く活躍。
カメラマン・沖山穂貴
これまで取材で北アルプスのたくさんの山を歩いてきました。その魅力は、なんと言っても稜線から見る大迫力の高山の連なり。そう思っていた私の印象は今回の番組取材で一変しました。
舞台は北アルプスの最奥部、黒部川源流域です。大町市湯俣からそこへ続く、伝説の古道「伊藤新道」を復活させようと奮闘する山小屋の主人、伊藤圭さんが主人公です。圭さんを追いかけながら歩いた道は、今まで経験した北アルプスとはかけ離れていました。
胸まで水に浸かりながら急流の川を渡ったり、先の見えない藪の中を手探りで進んだり。整備された登山道ではなく、自分で状況を見て進む道を決める「ルートファインディング」です。機材を背負い撮影しながら歩く険しい道に、恐怖と緊張を感じながらも突如として現れる絶景には疲れを忘れさせられました。まるで彫刻家が作ったような渓谷を流れ落ちる滝や、青と白の絵の具を絶妙に混ぜたように鮮やかな色の川は番組内でぜひ注目していただきたいポイントです。
圭さんが営むのは三俣山荘です。長野、富山、岐阜の三県にまたがる三俣蓮華岳の直下に位置します。大町市から裏銀座と呼ばれるルートを通るコースタイムは13時間半。まさに秘境の山小屋です。そんな人里離れた北アルプスのど真ん中に、「山賊」と呼ばれる猟師たちがいました。
圭さんの父、正一さんが書いた本「黒部の山賊」では、常人離れした体力を持つ彼らの冒険譚。そして彼らが見たというカッパや物の怪など謎の存在の話が共に生活した正一さんの目線で語られます。
そして圭さんが、復活させようとしている「伊藤新道」を1956年に開通させたのも正一さんでした。湯俣から三俣山荘まで6時間で登れたといいます。
しかし、度重なる崖崩れや水害などで通行が困難になり、一般登山道としては使われなくなってしまいました。
はたして圭さんはなぜ、そしてどんな思いで、伊藤新道を復活させようとしているのか。そして「山賊」たちが見た謎の存在とはいったい何なのか。怪しくも美しい黒部源流域を、「黒部の山賊」の足跡をたどりながら撮影しました。
今夜7時放送です。ぜひご覧ください。
黒部の山賊ともののけたち ―源流への道―
2022年12月7日(水)よる7時 放送
ディレクター・プロデユーサー 山口哲顧
2016年「雷鳥を守るんだー神の鳥その声を聴く男―」、2017年「天空の頂に―槍ケ岳 山小屋100年物語」に続いて、5年ぶりに山岳を舞台にするドキュメンタリーを制作しました。以前、「雷鳥――」の番組企画を立ち上げた、元朝日新聞記者の近藤幸夫さんから、「黒部源流には昔カワウソがいたことを信じている人たちがいる。ひょっとしたら今も」という話を聞いていて、いつか番組にしたいと思っていたものが実現した形です。
しかし、今回はこれまでの山岳番組と勝手が違っていました。主軸は、北アルプスの最奥部、黒部源流に道を開き山小屋を建てた開拓者・伊藤正一さんの長男・圭さんが、1956年に父が開通させた伊藤新道を復活させていくドキュメントです。そこに、正一さんの著書「黒部の山賊」で語られている、山賊=猟師の冒険譚と、山から聞こえる「オーイ」の不思議な声、カッパなど「もののけ」の逸話、さらに、カワウソの目撃談を交えて構成しようと考えていました。動いていけば何とかなるだろうという思いで、撮影に出かけましたが、三俣山荘は到着まで2日かかる場所だし、伊藤新道は、湯俣川の渓谷の道なき道を、機材をかついで沢歩きをして行かなくてはならない難路でした。
現場に到着しただけで疲れてしまうのですが、そこで衝撃的な事実が判明します。当たり前なのですが、「黒部の山賊」の時代は1950年~60年代。それを語れる人は今は少なく、圭さん自身も「伊藤新道の復活」「山と人と街をつなぐ」など3つのプロジェクトを抱えていて、「頭はそっち(黒部の山賊)に向いてない」ということでした。一緒に、「黒部の山賊」でカッパが出たと語られるカベッケが原に行ってみましたが、現代ではカッパの気配はしません。「これで番組成立するのか?」圭さんも心配し、一緒に悩んでくれました。また、伊藤正一さんが愛した雲ノ平で、雲ノ平山荘を営む次男の二朗さんも、番組の方向性について相談に乗ってくれて、山賊の時代と現代との違いは、「山がレジャーの対象となったことだ」とサジェスチョンしてくれました。
また、もうひとつの難点は去年NHKが三俣山荘と雲ノ平山荘を舞台に「黒部の山賊」というタイトルで2時間番組を制作・放送していたことです。見てみるとありとあらゆる場面が撮影されていて、それに引っ張られて方向性を見失いそうになっていました。(というか見失いました)
そんなこんなで、迷子になりながらの撮影でしたが、山で出会った登山者の声や、山小屋で働く人の声や山々の美しさ。そして、沖山穂貴カメラマンと、助手の加々美昌明さんとともに遭遇した、稜線での雨風の激しさ、圭さんと道なき道を行って見つけた山賊が釣りをしていた「大滝」など、北アルプスの厳しさ、怖さが、番組を導いてくれたと思います。
圧倒的な自然に身体一つで対峙した山賊たち。スマホ、GPS、雨雲レーダー、高性能の登山具に恵まれた今でも山は、「生きること」を教えてくれている。そして伊藤新道はそんな体験をさせてくれる道になりそうです。
黒部の山賊ともののけたち ―源流への道―
2022年12月7日(水)よる7時 放送