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放送内容

県歌 信濃の国が生まれた日

県歌 信濃の国が生まれた日(いいね!信州スゴヂカラ)

1968年5月20日は草田敏彦アナウンサーが生まれた日だが「信濃の国」の歌が県歌に制定された日でもある。草田アナが当時の背景に何があったのか、また、この歌がどのようにして生まれたのか調査に乗り出す。
県庁の敷地内に信濃の国歌碑がある。県庁ならば有力情報がとれるはず、と広報県民課を訪れると、信濃教育会が歌をつくったとわかる。信濃教育会には、作詞者の浅井洌(きよし)や作曲者の北村季晴(すえはる)にまつわる資料がたくさん保存されている。そして、多くの貴重な資料が、ある人物から寄贈されたとのこと。しかも県歌制定の頃をよく知る人物だという。さっそく訪ねることに。
長野市内在住の太田今朝秋(けさあき)さんは、県歌制定に尽力した人物で95歳とは思えぬほど頭脳明晰ぶりで制定当時の様子を聞かせてくれる。また、信濃の国は1899年長野県師範学校教諭の浅井洌が作詞、1900年に同校音楽教諭の北村季晴が作曲した歌だが、北村が作曲する前に、同僚の依田弁之助(べんのすけ)が作曲したものがあったという。どんな曲調なのかを知るべく、信州大学教育学部を訪ねる。音楽教育担当の齊藤忠彦教授はじめ学部生たちが、依田が作曲した信濃の国を歌い、草田アナはその違いに驚く。
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そもそも、信濃の国は、1900年に長野県師範学校女子部の遊戯舞踊として発表されたのが初披露。それは一体どのような踊りだったのか。当時としては先端を行くダンスミュージックだったに違いない。そのヒントを探るべく、千曲市立更級小学校を訪ねる。同校には1914年の運動会プログラム表が現存。そこで信濃の国遊戯が踊られたという。今も運動会の際、PTAらによって毎年披露されている。実はその踊りが明治当時の踊りの可能性があるらしいというので、急きょPTAの方々に踊ってもらう。
さらに、当時最初に振付をした、長野県師範学校の体育教諭・山田春耕(しゅんこう)の著書「新撰遊戯(しんせんゆうぎ)」が松本市の旧開智学校にあると聞き、訪ねる。何とそこには信濃の国遊戯について書かれていた!

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取材先情報

  • 長野県広報県民課
  • 信濃教育会
  • 信州大学教育学部
  • 千曲市立更級小学校
  • 旧開智学校校舎