新聞に乗らない内緒話

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コラム

甲子園100回大会余話

これでも元・高校球児である。

東京南部の、場末の都立高校(後に廃校)の野球部員で、創部3年目であった。それでも志は高く「目指せ甲子園」だから可愛いものである。

毎年1回戦負けであったが、3年生最後の夏に何と初戦突破、2回戦が不戦勝で3回戦まで勝ち進んだ。しかも試合会場は神宮第一球場(本球場)であった。手入れの行き届いた土のグラウンド(人工芝ではない)、外野席はすべて芝生の時代である。
相手は私立T高校で、試合は2対2のまま延長戦へと突入した。西南に夕陽が沈みかけ、ネット裏の銀傘の隙間からこの日最後の、野太い光線がマウンド方向へ真っ直ぐ差し込んでくる。
たった一人のエースが力尽きようとしていた。遊撃手であった私の目前まで、彼の影法師は長く、伸びた。あの試合、その光景ばかりが記憶に残っている。
試合結果は、記すまでもなかろう。

エースは40代半ばで縊死(いし)した。理由は、わからない。

というわけで、今夏の全国高等学校野球選手権は第100回記念大会だそうだ。「本気の夏、100回目。」と喧伝されている。
1915年(大4)に始まったこの大会(当時は全国中等学校優勝野球大会)は以来、この国の夏の風物詩としても欠かせない存在となった。

第1回大会の出場校は「我社(朝日新聞社のことである)は全国各地方に於ける府県連合野球大会の本年度の優勝校を其の代表者と認め」「地方大会の存在せざりし地方に対しては特に本社各地方通信部主催又は後援の野球大会を行わしめ」東北、東京、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州から10校を選出した。

試合は甲子園球場ではなく、大阪府・豊中グラウンドで8月18日から同23日まで開催されている。決勝戦は、京都二中が秋田中を下し初の栄冠をものにした。
「大会唯一の本塁打」は大会第一目の第一試合、鳥取中対広島中戦で、広島中の中村が「中堅の頭上遙かに打った球は転々として殆ど柵塀の際まで行った。そして中村君は悠々と還って、大方ベンチに来る位まで余裕があった」とある。
つまり大会第一号は、ランニングホーマーであったわけだ。
以上は、東京ドームにある野球殿堂博物館の蔵書「全國野球大會記録(大正4年10月発行)」に拠った。引用である。

夏休み、甲子園へ出かけなくても東京の一角で、いにしえの高校野球に出会える。100回大会の、その歴史をひもとくのも悪くはない。

(日刊スポーツ I / 2018年8月)

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