新聞に乗らない内緒話

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コラム

柿の木と、復興

 福岡県朝倉市へ行ってきた。

 都会の人はもうこの街のことを忘れてしまったかもしれない。今年7月5日から6日にかけ集中豪雨がこの地を襲った。「九州北部豪雨」である。
 5日午後、朝倉市付近では3時間で約400ミリ、12時間で約900ミリの雨量が解析され、蜷城地区で桂川が、添田町で彦山川が氾濫した。大量の流木が河川に流れ込み、土砂崩れでなぎ倒された杉などが川を流れ下り、流れをせき止めて氾濫させた。

 朝倉市だけで死者は30人超、田畑と果実と養蜂の街は一変した。

 国指定史跡で、かんがい施設遺産に登録される「朝倉三連水車」にも土砂が流れ込み、その機能は失われた。川面より高所の耕地に水を送る、その灌漑(かんがい)装置の供給面積は35ヘクタールにも及び、6月中旬の田植え時期から10月中旬の稲刈り時期まで稼動する。その肝心な時期を豪雨は直撃した。しかし8月2日早朝、数人がかりで人力で回すと、3つの水車が自然に回転を始めた。朝倉市のシンボルは生きていた。そして10月中旬まで、水を供給した。
 今、周辺は荒涼としたままである。流木、土砂こそ取り除かれたが、干上がった田面は土色の、モノトーンである。ふとふり返ると掘っ立て小屋が1軒、風に吹かれている。覗くとベニヤ張りの上に数々の、朱の彩り。あるものはビニール袋に、箱詰のそれが晩秋を象徴している。
 「富有柿」であった。
先ほどまで老婆の姿を見受けたが、今は見渡す限り人影はない。その昔、農家へ嫁ぐ者は柿の木の苗(接ぎ穂)を持たされ、それを庭の柿の木に接ぎ木した。古い慣習であると、俳人坪内稔典の著書「柿日和」に見える。

 嫁はやがて子を産み、子を育て、そして生涯を終えると、嫁ぐときに持ってきた柿の枝が伐られ、火葬の薪や骨を拾う箸にされた。

里古りて柿の木持たぬ家もなし  芭蕉

 やはり女児が生まれると、桐の木を植えた。親は将来に備え、嫁入りの際の家具に用立てるのだという。そんな幻想は、柿の木にはない。ただただひたすらに生きた証しとして、人生最後の瞬間に生きてくるのである。

「桃栗三年柿八年」―

 芽が出て実がなるまでに、桃と栗は3年、柿は8年かかる。何事も、成し遂げるまでには相応の年月が必要だという、言い伝えに由来する。
 朝倉市の復興にはまだまだ時間がかかる。「朝倉三連水車」は来年もまた回り続ける。

(日刊スポーツ I / 2017年12月)

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