新聞に乗らない内緒話

新聞に乗らない内緒話

コラム

春。木の芽時。

4月。背広姿もぎこちない、新入社員を見かけると四十年前の自分を思い出します。大学卒業の頃、よく山口瞳の作品を読みました。「少年達よ、未来は」などというタイトルもありました。実際、こんなくだりがあり、「私の経験で言えば、忠誠心や愛社精神を振り回す男にロクな社員はいなかった。あいつはいつ会社をやめるのかとハラハラさせられるような男が結局は大きな仕事をしたものである。」

「働くのは会社のためでも家族のためでもない、自分のためである。失意のときは、この言葉を思いだしてくれ給え。気楽な稼業と思ったら大間違いだ。常に安住するな。」
そんなものかなぁ、とボンヤリ考えたりしたものです。
山口瞳がまだ二十歳台ころ、先生(高橋義孝=ドイツ文学者、随筆家。山口瞳が師と仰いだ)と同道していると、こんなシーンに出会います。駅頭で切符を買い、ホームへの階段を上ろうとすると電車が入線してくる。駆け上がれば間に合いそうです。周囲の人たちは慌てて昇り始めます。「しかし、先生は、ゆっくりと、いつもの歩調で歩いていました。」
案の定、電車はドアが閉まって発車、「駅には、乗客は、先生と私と二人だけが残されたことになります。」
その時、先生はこう語りかけたそうです。

「山口くん。人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。…それに第一、みっともないじゃないか。」

山口瞳は、この言葉に感銘をうけます。
「Aという地点からBという地点に到達するには、さまざまな道があると思っていただきたい。AからBに行くために、いったんCに寄ってみることも可能なのです。あるいは電車を一台やり過ごしてもBという目的地に達することができます。」
餞(はなむけ)、という言葉があります。微かに、春の香りがします。昔、旅に出る人の道中の無事を祈って、乗る馬の鼻をその行く先へ向けてやったところから、この言葉が生まれたと聞きます。

社会への第一歩。様々な出来事がありそうです。そこで、ささやかな餞を。

かなしみはちからに、
欲(ほ)りはいつくしみに、
いかりは智慧(ちえ)にみちびかるべし (宮沢賢治)

(日刊スポーツ I / 2018年4月)

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