高校の卒業式を待たずして、「彼女」は自宅を飛び出した。真夜中の豪雨。二階の窓を開け、庇(ひさし)を踏み、庭に飛び降り、駆けだした。持ち出したのは一挺(ちょう)のバイオリンだけだった。それだけの事情があったのである。まだ18歳。
支援者が用意したのは、ドイツまでの片道切符であった。
のちに、彼女は国立管弦楽団の第1バイオリニストになる。
1989年冬、私はベルリンにいた。表向きはテニスの国別対抗戦、デビスカップ取材だったが、東西冷戦の象徴「ベルリンの壁」崩壊間近とあって、目的を放棄してこの地に赴いた。出発前、彼女と連絡をとり、土産を届ける予定だった。
ハンブルクに住んでいるのは知っていたが、会うには時間がなさ過ぎた。電話で消息を尋ねると「芝生の庭がある家で、真っ白な一軒家。まるで白雪姫のような生活」と快活に笑った。スエーデン出身の音楽家と結婚、週末には街角でコンサートを開き「この国は芸術家を大切にしてくれるのよ」と屈託がなかった。
長く夫婦生活を営んだが、最近になって夫は母国への帰国を訴えた。彼女を連れて帰りたいという。だから、仲が悪くなったわけではない。ただ、それならば彼女は老いた母のいる、やはり母国・日本へ戻りたかった。
何の波風も立たず、静かに離婚は成立し、彼女は梅雨空の日本に戻ってきた。
友人たちが集まって、ささやかなパーティが開かれた。
出席したAさんは「彼女」の幼友達である。「私も高校3年生になった頃、家庭の事情で学校に通えなくなってね。その時、彼女は毎日、授業ノートを持ってきてくれて。ここが試験に出るから絶対にテストを受けるのよ、高校は卒業しなけりゃダメって励ましてもらった」と話した。
Aさんは無事卒業し、その後結婚、1年目に子供が生まれ、2年目に別れた。女手一つで子供を育て上げ、孫が出来た。「でも毎日、娘の家に行って家事手伝い。往復のバス代は自腹」と笑った。夫婦共稼ぎで親の手が欠かせない。
Bさんも「彼女」のクラスメート。卒業後、会社に勤め事務を担当、この日も残業を終えての出席だった。語学学校でフランス語を学び、シャンソンを歌う。「私、結婚しました。59歳で。籍は入れたけど一緒には住まない。互いに相手の部屋を訪ね合う、そういう結婚」
私はそのやりとりを、ボンヤリ聞き入っていた。
男が人生を語ると泣き言が混じるが、彼女らは違う。笑顔の、その下には言われぬ苦労もあったことであろう。しかしながら、
何事もなかったように酒を、酌み交わすのである。人生の午後が、過ぎてゆく。
天気予報は深更の、雷雨を告げている。彼女の、「あの夜」と同じである。
(日刊スポーツ I / 2016年8月)
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