新聞に乗らない内緒話

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コラム

ただ今、猫まみれ

わが家には猫が三匹、いる。黒、茶、三毛という色合いである。
一方、庭には野良猫二匹が棲みついて網戸越しに室内をうかがっている。家人は本来犬派であったが、いつの間にやら野良猫の保護に目覚め、捕獲カゴで捕まえては動物病院へ駆け込み手術を施し、ある時は自宅へ、またあるときは野良猫の元居た場所へ解き放って多忙である。

夫婦二人だけの家が猫だらけなのはそういう事情だが、最近になって娘夫婦が小宅の二階に引っ越してきた。かつて私の家族四人、両親が住んだこの家は長男、長女の独立、両親の他界で夫婦二人だけと閑寂そのものであったが、娘夫婦の加入で再び賑わいを取り戻し、彼らもまた猫を一匹抱えてやって来た。茶の、長毛系でペルシャ風。先住三匹と諍いを起こさず神妙なのは何よりであった。
というわけで都合四匹、彼ら彼女らが家の中を歩き回って、共同生活と相成った。

夏目漱石の、飼い猫が死んだのは1908年(明41)9月13日であった。享年六歳。漱石は友人たちへ死亡通知を出した。通知を受けるとさっそく弔句が届いた。

「吾輩の戒名もなき芒(ススキ)かな」(高浜虚子)
「先生の猫が死にたる夜寒かな」(松根東洋城)
漱石も「猫の墓に九月」とのことば書きを添え一句捧げ、手を合わせた。
「此(こ)の下に稲妻起る宵あらん」
猫の再生を願ったのであろうか。以来命日には鏡子夫人が一切れの鮭、鰹節をかけた飯を供えたと、漱石次男で随筆家、夏目伸六の「猫の墓」にはある。
名作「吾輩は猫である」はあまりに有名だが、その「吾輩」の末路を記憶している人は意外に少ないのではなかろうか。飼われて二年後の秋の夜、試しに飲んだビールに酔っぱらい水瓶(みずがめ)に落ち、名前もないまま死んでいる。あまりにあっけない幕切れに肩すかしを食らったような感想を持ったのは私だけだろうか。

猫にまつわる漱石の句をもう少し紹介しよう。
「行く年や猫うずくまる膝(ひざ)の上」
「戀猫(こいねこ)の眼ばかりに痩(や)せにけり」

というわけでわが家は猫だらけである。もし一匹でも脱走、行方不明になろうものなら家庭崩壊であろう。窓、玄関の開閉などは恐る恐るで、「猫の飛び出し注意」なる標語がいたるところに張り出されている。
ちなみに脱走猫の戻るまじないをご存じだろうか。「たち別れいなばの山の峯に生(お)ふるまつとしきかば今帰りこむ」。在原行平の歌で、門口やトイレなどに貼り出すと良い。

(日刊スポーツ I / 2019年7月)

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