新聞に乗らない内緒話

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コラム

「アルマーニ」と、「アルマーネ」

 「つまり『アルマーニ』製ではなくて、『アルマーネ』製ということにすればいい。金のある奴だけが買えばいい」と、皮肉屋の彼がしゃべり出したから耳をそば立てた。
 銀座・泰明小学校の、アルマーニ標準服採用が話題になった。洗い替えのシャツまでそろえると、全部で9万円とあっては庶民の違和感はもっともだ。
「マネー(金)がアルから『アルマーネ(アルマネー)』。どうだね」― アルマーニに引っかけた、お得意の駄じゃれだがなかなかの切れ味である。座布団1枚級、だろう。

 そう言われて思い出した。かつて私が通った都立高校のことである。

 時代は60年代後半、70年代初頭であったが、制服は紺のブレザーにネクタイであった。このスタイルを採用した都立高校は名門・九段高校と私の高校(偏差値は最低ランクであったが)ぐらいではなかったか。新設校で、進取の精神に富んでいたのである。
 もっともこの制服は高校2年生時に廃止(正確には標準服に格下げ)となった。
 折しも大学紛争真っ直中、その予熱が場末の高校にも伝わってきた。校門近くにヘルメット姿が出現、校内ではシンパか「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が闊歩(かっぽ)し、ガリ版刷りのチラシを撒いた。自由、解放の大合唱で、誰に煽られたか自治会と称する団体が学校側に「制服自由化闘争」を仕掛けた。

 学校側がしぶしぶ譲歩し、あっという間に制服は霧消した。

 私はこの制服が気に入っていた(ネクタイを結ぶと、何か大人になったような気がしただけだが)。だから卒業まで愛用した。ある時、ヘルメットがやって来て「お前はなぜ、自由服を着ない」と問い詰めたから、ぶっ飛ばしてやった。すこぶる爽快であった。以後、一切の干渉から解放された。
 面白いもので「自由化」から数カ月で、制服は復活した。そりゃそうだろう。当時の高校生が持っている服などジーパンとTシャツ、セーターぐらいで、毎日「自由服」など楽しむ余裕など無い。朝起きて飛び出す生活なら、着慣れた制服を着込むのがなによりもスピーディで、手っ取り早い。制服とは使い勝手が本来なのである。
 かくして「闘争」はあっけなく終結した。

 泰明小学校正門前は、再開発に抵抗するかのように雑居ビルがひしめき、バー、スナックの看板が連なる。立川談志がこよなく愛したバー「美弥」(2016年末に閉店)はあまりにも有名だが、彼はここへ来ると近くの中華料理店「東生園」から出前をとっておだを挙げた。蕎麦「泰明庵」は隠れた名店だが、そば焼酎を頼むと、ドリンク剤の空き瓶に焼酎を詰めて出す。つまり銀座でも珍しくざっかけない(東京方言。ざっくばらんの意)土地柄で、アルマーニに身を包んだおぼっちゃん、お嬢ちゃんがはたして似合うのかどうか。

 見た目より、物を見る目を養うのが教育であろう。違いますか。校長先生。

(日刊スポーツ I / 2018年3月)

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