2005年に番組取材でラオスへ訪問した藤井アナの奮戦記です

過去に1回しか海外旅行をしたことが無い藤井アナ(その1回もお隣、韓国)。しかも観光地化していないラオスということで不安が先立ちます。一体ラオスではどんなことが彼を待ち受けているのでしょうか?
「藤井アナ、会社の代表に!?」
ラオス首都ビエンチャンに到着して最初のお役目。それは何と会社の代表として、スニーカー贈呈式に出席すること。abn社長の挨拶文代読や、ラオス日本友好協会(スニーカーをお渡しするラオス側の団体)代表者との会談など、藤井アナにはもちろん初めてことばかりで、ニュースを読むとき以上の緊張だったとか。とちったりしないでしっかりと社長挨拶文を読み上げることができたのでしょうか。
この贈呈式の模様を、現地の新聞社とラオス国営放送が取材。ぎこちない笑顔の藤井アナ握手シーンの写真が掲載されました。藤井アナの勇姿を見てやって下さい。

こちららで、ラオス国営放送で放送されたニュース映像をご覧いただくことができます。
「ホームステイに挑戦!」
会社の経費で行かせてもらう海外取材。一番若手の藤井アナがリポーター役として行けたのは、もちろん会社の代表で贈呈式に出てもらうためではありません。今回彼に与えられた使命。それは過去の番組取材で一度も実施していないこと、ラオスの一般市民の家にホームステイして、実際にラオスの人々の生活振りを体験するということでした。
ホームステイする村は、首都ビエンチャンから車で約1時間のバンクン村。現在のラオスの中で平均的な暮らしレベルの村です。到着すると早速、村長さんの家で熱烈歓迎を受ける藤井アナ。村一番のご馳走まで振る舞ってもらい、ラオスの食事の美味しさに大感動です。この調子だったら予想に反してホームステイもそんなに大変そうじゃないかも、と少し気が楽になる藤井アナでしたが・・・。 。
「食事は自給制!?」
さて、藤井アナが一晩お世話になるのは、サイさんのお宅。
ラオスの一般家庭の食事は自給自足が当たり前。それを知った藤井アナは、負担をかけたくないということで自分の夕飯のおかずを調達しようと川で釣りに挑戦します。魚が釣れればそれを夕飯のおかずにしようという訳です。でもそんな簡単にいくのでしょうか・・・。
「農作業のお手伝い」
魚だけでは足りません。家のお手伝いもしなくては!ということで、藤井アナ、子ども達と一緒に畑作業をお手伝い。家族全員が協力し合って自分たちの食べるものを作る。多くの日本人が忘れてしまった風景でしょうか。
「ラオス家庭の“三種の神器”」
現在のラオスの平均的な家庭では、「炊飯器・冷蔵庫・テレビ」がいわゆる“三種の神器”とのこと。昭和30年代の日本のようです。(日本では炊飯器じゃなくて洗濯機だったでしょうか)
このサイさんのご家庭にも炊飯器や冷蔵庫が置かれていますね。写真には写っていませんがテレビもあったそうです。でも電気の供給量が少ないので、夜は部屋も薄暗く、テレビはつけていないそうです。
「スタッフも帰って、いよいよ一人でホームステイ」
さて、陽も落ちて、いよいよ藤井アナ一人残ってホームステイの始まりです。
(藤井アナ)
当然周りはラオス語。一人になって日本語が通じない苦しさに直面しました。ご家族みんなの笑顔だけが救いでした。
「村の学校へ訪問」
明けた翌日、サイさんの子供が通う村の学校へ、スニーカーを持って訪問します。
スニーカーをもらった子ども達は大喜び!藤井アナも休憩時間に子ども達と一緒になって体操を楽しみました。
「サイ一家との別れ」
最初は不安でいっぱいだったホームステイ。たった2日間のおつきあいでしたが、ラオスの人々のやさしさに触れた藤井アナは、終わってみればすっかりラオスの魅力に惹かれたようです。
ラオスに一度でも行った人は皆さん口々にこうおっしゃいます。
「ラオスは海もなく何も無い場所だからリゾートという感じでは無い。だけどラオスの人々は本当に心の根がやさしく、この人達と触れあうだけで心が安まる。昔の日本人もきっとこんな感じだったのだろう。そういった意味でラオスは“心のリゾート”なのかも知れない」
藤井アナも、ラオスの人々の出会いに感動し、そして心休まったのではないでしょうか。
「ハーフマラソンに挑戦!」
まだまだ、藤井アナには試練が続きます。
ラオス取材ではすっかり恒例(?)となりました「ビエンチャン国際ハーフマラソン大会」。過去2回リポーター役を務めた若井友紀子さんも走りました。何とその姿が今年の大会ポスターに大きく掲載されていました。
もちろん藤井アナにも挑戦していただきました。しかも、最長20k超コースでのエントリー。がんばれ、藤井アナウンサー!
(藤井アナ)
ラオスの皆さんは、みんな透き通るような目をしていました。優しい人ばかりでした。初めて会ったはずの僕なのに、心から迎え入れてくれました。
何時に到着するかわからない僕たちのことを、校庭で一列になって待っていてくれた小学生。言葉の通じない僕を優しく迎え入れてくれたバンクン村の父さん、母さん。
優しくて、温もりに満ちた国でした。
そして、長野から贈られたスニーカーを本当に喜んでくれました。その姿を見て、来年も一つでも多くのスニーカーをラオスのみんなに届けたい、届けなければいけないと切に感じた日々でした。



