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2011.07.31

「昔は」「この間は」「学生の時は」
社会人になって私も陥る、実は使いたくない言葉です。
「今」を見ない言葉のように思えるからです。

でも、過去から習うことは沢山あります。

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で、「おい!フジイ! なぜ、ベーゴマなんだ」となりますねっ!


戦後、日本は貧しかった。

戦時中生まれの父がよく話してくれました。
困窮のど真ん中、「産めよ増やせよ」と、父の兄弟は8人。

でも、家庭で子は養えないから、皆下宿なりして、外に出て働く。
新潟の、その中でも「田舎」とされる所で育った父から、
ずっと話を聞いてきました。

母方の祖父は戦争から生きて帰って来て、相当なバッシングを受けたそうです。
「何で生きて帰って来たんだ」と。
山形で育った母から、たまに聞いた話です。


今では信じられない時代です。


「道草をくう」とは言いますが、
当時は、本当に道の草を食べて、空腹をしのいだそうです。


それが日本中、もっと言ったら「ど田舎」の暮らしだったそうです。

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日本中が「ど田舎」だった、その時代の子ども達の遊びが「ベーゴマ」でした。

鉛でできたコマと、タコ糸だけの遊びです。
でも、鉛を回すって、すごいことなんですよ!

やってみて、実感しました。だって、回らないんですもの。

二つの結び目を作って、引っ掛けるところを作って、、


子どもの遊びが、「鉛とタコ糸」だったから、
手先は器用になりますよ。
何回も解いて巻いて、作り直して、、

何でも、自分たちで作り上げたそうです。
それが、技術大国「日本」の原点だったのかと、今、感じます。

ものはない。金もない。
でも、自分で作ることはできる。

切り開いていくしか、生きる道がなかった日本は、
「経済大国 日本」と呼ばれるまでに復活しました。

底力の爆発だと思います。ベーゴマが回る勢いのごとく。


そういう時代に生きた先輩達が進まざるを得なかった道を教科書のように鑑みるのも、
今の私たちには必要なのかも。とも思います。


全てが流された宮城の海岸を目の当たりにして、
そんなことが浮かんできました—

[ つれづれなるままに ]

2011.07.31

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先月訪ねた福島県の子ども達が、信州に遊びに来てくれました。

みんなが待ちに待っていたのが、プールでした。

こちらは福島県伊達市の小学校のプール。
原発関連の心配から、プールは閉鎖されたまま。
プールに入れないばかりか、プールから水を流せない状況が続いています。

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堰を切ったように、子ども達が更衣室から出てきました。
長野の子と比べて、日焼け具合がすぐわかります。
全く日焼けしていない肌。でも、屈託のない笑顔がありました。

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たったの1時間。
でも、待ちに待った1時間でした。

子ども達にせがまれて、体を持ち上げて、プールの水にダイビングさせてあげたら、
「俺も!俺も!」と。

ちょっと重かったけど、今できることはこれぐらいしかなくて、、
100回は投げたと思います。

でも、楽しかったな。

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県内から、バルーンパフォーマンスのできる人が駆けつけたり、
ラーメンをゆでてくれたり、信州の大人達が協力して、
思い切り「日本の夏」を楽しんでほしいと、奮闘していました。

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花火をしながら、ある子が言っていました。

「プール楽しかったな。最初で最後になっちゃうけど。。。」


ね、またおいでよ!
気軽に遊びに来られる様に、何かできることをしながら、待ってるからさ。

みんなが「また長野行きたいー!」って言ってくれた時に、
すぐに来られるように。何かできることをするから。

[ Coverage postscript ]

2011.07.29

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高校野球長野大会。
準々決勝以降は、長野オリンピックスタジアムから、
こちらの中継車を通して、皆様に放送をお届けしました。

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この中継車の中には、あるポスターが貼られていました。

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「覚悟」と書かれたポスターを拡大してみましょう。

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下半分は、

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信じられないかもしれませんが、
東京から来た「この人たち」がカメラや音声機材といった、
現代機器を使いこなしました。


「覚悟」という文字の横に書かれていたのは

「なぜ、あなたはここにいるのか」

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この撤収作業が、またサムライらしい。

テイクシステムズの皆様!
決勝戦の後で、このポスターを発見しました。

手の凝った「ポスター」を、有難うございました。

[ sports ]

2011.07.25

高校3年の秋、大学で体育会に入ることを決めた。
と同時に、教員になる夢を諦めた。

当時の体育会テニス部は、練習優先、授業は最低限という姿勢だったから、
教職課程を取ることは、実質許されていなかった。

一つの夢を捨て、一つの夢に没頭した。
何かを成し遂げるには、何かを捨てなければならないのだと思う。

高校野球長野大会は、あすが準決勝。

夢を追うために、きっと何かを捨ててきた選手たち。
トップに立つために、自分に厳しく接してきた選手たち。
勝つために、チームを作り上げてきた選手たち。
本気で戦って来たこれまでを、きっとぶつけてくるだろうから、
私も本気で接したいと思う。

ああ、ドキドキする。

[ sports ]

2011.07.11

先日、宮城県仙台市若林区に行った。

心で受け止められない世界が広がっていた。

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津波が襲った土地には、生活の形跡すら残っていない。
そんな場所が至る所にあった。

かろうじて残っている家も、残されたのは鉄筋のみ。

ここには、私たちと何一つ変わらない生活をしていた家族が
たくさんいたはずなのに。


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見渡せるところは、津波が襲った範囲だった。
逃げられるわけがない。

絶望感と空虚な気持ちでいっぱいになった。

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仙台空港の近くの海岸は、本当はゴミでないゴミの集積場になっていた。
重機を動かしている人が何人もいる。

あの人達は、どうやって、この現状を噛み砕いたんだろう。
どうやって、力を出しているのだろう。

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国難だと思う。


テレビでは見ていたけど、迫ってくるものが違った。

ただ、信号のない道路が一本、復旧のために作られていた。
そこに、様々な都道府県のナンバーをつけたトラックが往来していた。

復旧の象徴として、電線が一本もない電柱が何本も一列に並んでいた。

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でも、復旧なんて、していない。


ようやく時間が経って、自分なりに受け止められるようになった。
答えは、信州を出る前と一緒だった。

「今できることを、今やろう」

[ Coverage postscript ]

2011.07.04

津波が襲った宮城県名取市。


想像以上の衝撃だった。


ただ、復旧へのシンボルとして
電線が張られていない新しい電柱が一列に並んでいた。

[ terminal ]

2011.07.03

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今日も、同級生と後輩と、
懸命に白球を追いかけている。

[ sports ]

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