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2009.04.27

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社会人野球長野大会。
優勝チームは日本選手権の出場権を獲得する大事な大会だ。

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地元、NTT信越クラブは予選を突破し、準決勝に進出。
相手はパナソニック。
アマチュアトップクラスのチーム。

試合は均衡。5回に1点を奪われたが、その裏にチャンスを作る。
1アウト2塁から、セカンドゴロの間に同点のランナーが3塁へ。
しかし、得点できず、敗れた。

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福地キャプテンは言う。
「すみませんでした。」
何を言いますか。でも、その後の言葉が今年のチームを表す象徴だった。
相手は社会人野球の優勝常連チーム。
しかし、「十分に戦えることが実感できました。」

チーム作りに悩んできたキャプテン。
確かに、バックネット裏から見てもいいチームに成長しているように強く感じた。

[ sports ]

2009.04.26

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母が好きな桜でした。
「お母さんは、八重桜が好きなんだ!」
3歳か4歳か、記憶も定かでない歳に聞いた母の言葉。

でも思い出す八重桜と母の顔。

「何で好きだったのかなあ。」といつも思うのです。

[ つれづれなるままに ]

2009.04.17

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モモの花と菜の花。

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ひと雨ごとに初夏が近づいてくる。
長野市松代は、カラフルな彩。目に鮮やかだ。

[ つれづれなるままに ]

2009.04.10

言い訳は、いいわけない!

[ language ]

2009.04.08

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最後に行ったのは、ガンジス川だった。
ガンガーポイント。
対岸を見ることができる場所だ。

太陽に向かってお祈りしている人がいる。
沐浴している人がいる。
体を洗っている人がいる。
洗濯している人がいる。

インド人にとって、ここは聖なる川。

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インドは生きる力がみなぎっているところだった。
皆、ポジティブに物事をとらえているようだった。
バイタリティに溢れていた。

日本に着いてから読んだ朝日新聞の記事に目が止まった。
「ぼくと1ルピーの神様」を書いたヴィカス・スワラップさんの言葉。
米アカデミー賞8部門を受賞した映画の原作者だ。

「スラムは絶望の場ではなく、
人々がよりよい明日のために戦っている場。
大切なのは「運」を自ら作り出すこと。
ただ待っていても降ってこない。
100%努力して初めて手にできる。
インドにはそんな物語があふれている。」

いい人ばかり。心の豊かさ。とても感じた。

日本人だって、信州人だって、、負けてられないぞ!!

元気をもらった百済、インドの旅だった。

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でもね、何かにあたったのかなあ。
帰国後、放送日の前後は毎日こんな状態でした。とほほ。

(完)

[ ザ・駅前テレビ ]

2009.04.07

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パトナーに戻った我々は、翌日、ブッダが悟りを開いた地に行こうと決めた。

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インドの夕飯はいつもカレーだった。しかもナンで食べるのだ。
火が通っているから安全だろう。そういう目的と、
「インドに来たら、やっぱりカレーでしょ!」という気持ちの両方から。

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翌朝、パトナージャンクション駅から、ガヤー駅に向かった。
2人で32ルピー。でも、電光掲示板に載っているホームと実際のホームは違った。

私達は早速迷子になった。さすがインドだ。

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電車で学生と一緒になった。人懐っこい子で、英語でどんどん話しかけてくる。
お互い、理解したり、理解できなかったりを繰り返して僕らは友人になっていた。
まだ16歳だって。それでも、たくさんの英語をしゃべれた。
将来はエンジニアになりたいと話していた。
大事そうに、丁寧に包んである自転車のギアを見せてくれた。

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ガヤーからはオートリキシャに乗る。
これはオートバイで動く三輪自動車のようなものだ。風を切って進んでいく。
クラクションを鳴らし続けて進む。そして、ブッダガヤに着いた。

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マハーボーディ寺院。
2002年に世界遺産に登録された寺院。

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この菩提樹の下で、ブッダは悟りを開いたのだ。

座禅を組んだ。

妙に心地よく、穏やかな空気が流れていた。

[ ザ・駅前テレビ ]

2009.04.06

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パトナーに着いた。
我々を最初に待っていたのは、「タクシーの勧誘」。

パトナーに到着したことをリポートしていたら、
「どこにいくの?」と一人に声をかけられ、もう一人が集まり、
もう一人が集まり、気がついたら10人ぐらいに囲まれていた。

バイシャリーを目指していることを告げて、
「バスを探す」と意思表示をするもしつこい。

ディレクターの、こちらも巧みな英語と交渉術で、
一日貸し切ることができた。日本円ではまあ、安い方だろうだと思う。

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バイシャリーに着いた。毘舍離国(びしゃりこく)だ。
手足が震えた。ここが、スタジオでしゃべっていた、善光寺縁起の始まりだった場所。
6年前の御開帳の時に必死で読んだ「御開帳ハンドブック」に出てきた土地。
如是姫が生まれた場所だった。

とても静かな村だった。
ただ、どうしても忘れないことも起きた。

自分の母親ぐらいの年齢の女性が、お金をせがんでくる。
手を合わせてくるのだ。

お金はある。でも、このお金を渡したら、他の人が寄ってくる。
他の人、全員に渡していたら身が持たない。きりがない。
だから渡せないと思った。
でも、でも、、答えが出ないまま、その人とは別れた。
ずっと後ろをついてくる。足を引きずって。
車に乗った。でも、何か奥歯にものが挟まったような、目を背けたい事実があった。

[ ザ・駅前テレビ ]

2009.04.05

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インドに行く前にすることがあった。
充電だ。インドではいつ充電できるかわからない。
幸い、ソウルの空港の電源は使いたい放題とのことだったので、それを利用した。

深夜0時50分、インドの首都デリーに到着した。
我々は翌朝、インドの国内線でデリーからパトナーというところに飛行機で飛ぶはずだった。

しかし、ここで大きな問題が私達に襲いかかる。

「デリー深夜到着問題」

深夜に到着した日本人を目当てに、空港にインド人が群がり、
ホテルの送迎係だと偽って車に乗せ膨大なお金をとったり、
高い費用のツアーに無理矢理参加させられていたり..といった日本人を狙った犯罪が
増えているという。

様々なブログに記載されていた。
そして、出口に大勢いるインド人を見ると、それが真実なようで、
怖くて仕方なかった。

結局、当初の計画通り、空港のロビーで時間を過ごした。

午前4時、意を決して出口を出る。
様々な人が寄ってくる。

俺の車で行かないか。
タクシーあるよ。
どこにいきたいんだい?

最初のインドの印象は衝撃的すぎた。
立ち止まるたびに、人に囲まれる。
歩いていてもついてくる人がいる。

結局、ディレクターの交渉の末、バスに乗ることができ、
国内線の空港に行ったのだが、着いた先は到着口。
薄暗い早朝5時のデリーを1.5キロ歩き、出発口についた。

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肉眼では見えたんだけど、、無理でしょうか。
ヒマラヤ山脈が遠くにあるはずなのです。

私達は、今度はインドを東に向かいました。
行き先はパトナー。

[ ザ・駅前テレビ ]

2009.04.03

あす、朝9時半から4年目に突入した
「ザ.駅前テレビ 85分拡大スペシャル」をお送りします。
善光寺縁起を辿るインド/韓国の旅。
放送前日なので、今日は画像でお送りします。
どんな世界だったのか。想像してみてください。

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お楽しみに。
また、筆を執ります。

[ ザ・駅前テレビ ]

2009.04.02

3月23日(日)
百済国に旅立つはずだった私達に、いきなり事件が待っていた。
待てど暮らせど「規定より10センチ高かった三脚」が出てこない。

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空港の人に聞いてみた。
「あ、その荷物はインドに行っちゃいましたよ!」

確かにそう言った。英語で。
私達にとって三脚はとても大切なもの。
それを私はインドの首都、デリーに送ってしまっていた。

寛大なディレクターは「仕方がない」と言ってくれたのだが、
「まさか」なことが起きてしまう。

我々は気を取り直して、旧百済国に向かう。

百済は346年から660年まで存在した
古代の朝鮮半島南西部にあった国家のこと。
高句麗、新羅、伽耶諸国とあわせて、この時代を三国時代という。

百済、最後の首都は泗ビ。現在の扶余(プヨ)だ。

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こちらは白村江。
ご存知の方も多いだろう。
663年、白村江の戦いで、百済と日本の連合軍は、唐と新羅の連合軍と戦った。
日本軍が援軍としてここにきたのだ。
この離れた土地へ。
古の時代の交通網と通信網にびっくり。

さあ、「善光寺縁起」紀行。
いよいよ、インドへの旅に出よう。

[ ザ・駅前テレビ ]

2009.04.01

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3月23日(日)
我々は深夜2時にabnを出発。
本来なら、カメラマン、音声マン、ディレクター、リポーターの4名で
クルーが構成されるのだが、予算の都合上、音声マンが減り、カメラマンが減り、
デレクターと私の二人での取材となった。

7時に成田空港第1ターミナルに到着した私達は、まず韓国へ向かうこととなった。
駅伝でいっぱいになっていた頭を空にし、前もって調べていた資料に目を通していると、
どこかの国に行く飛行機が定刻通りに飛ばないというアナウンスが流れた。
ディレクターに電話が入る。松坂さんからだった。
成田で貨物飛行機が着陸失敗し、炎上したとのこと。
某テレビ局のニュースでもトップ項目になっていた。

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幸いにも、我々が乗る飛行機は定時に飛びそうだったが、不安もよぎった。
後で聞いた話だが、死者が出る事故になってしまったらしい。

そして手荷物検査では、カメラの三脚が規定より10センチ長いのが判明。
機内に持ち運べなくなる。この世界情勢の中、他にも出国手続きは厳しいものになっていた。

約2時間のフライトで韓国・インチョン空港に到着。
目指すは南西部、百済だ。

[ ザ・駅前テレビ ]

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