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蔵田玲子アナウンサー

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2011.03.28

「きょう水が、ちょぼちょぼだけど、やっと出たの!」
「近くのコンビニに10日ぶりに灯がともったの!」
「やったー!きょうガスが通ったの。2週間ぶりにお風呂入ったよ」
「少しづつ少しづつだけど、仙台も、もう少しだと思うんだ」

家族からの連日のメール。
日々日々、小さな希望を見つけて生きる力にしている。
被災地にとって1日は、長く苦しく尊い一日に違いない。

ニュースでも「被災地復興」の話題が出てくるようになりました。
嬉しい半面、被災者にとっては複雑です。
何故か・・・

私も、いとこを津波で亡くしました。
伯父、叔母も未だ行方不明です。
この話を耳にした時は強い衝撃に襲われました。
悲しみというよりは
「どうにか出てきて」っという祈りの方が強かった。

でも、1週間たち、2週間たち、時間がたつにつれて
祈りは悲しみになり、日々、失った悲しみが深く深くなっていくのです。

復興の兆しに勇気づけられる半面、失ったものが現実味をおびてくる。

被災地も、落ちつきを取り戻すと同時に
これからの不安や、焦りが大きくなってきていると言います。
大事な人を亡くした悲しみが濃くなっていると言います。

復興というキレイ事だけではすまされない、
悲しい現実が存在することと、みんなが闘っています。


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2011.03.21

私の妹は仙台市内の病院に勤務しています。
東日本大震災直後から、寝袋を持ち込んで不眠不休で看護にあたっています。

病院では、薬・物資不足が極限にきているそうです。
そんな中・・・(妹のメール)

「長野からオムツが届きました。
がんばれ仙台!長野県上松町・・・って
メッセージが貼ってあって、
病棟全員が勇気付けられたと
紙を張り出しています。
ありがとうって伝えてね」

っとありました。
上松町の方、本当にありがとうございます。
先が見えない絶望感の中で、
支援してくれる温かい気持ちが被災地を支えています。
生きる希望になっています。
ちょっとした一言で救われることもあるんです。

日本もまだまだ捨てたもんじゃありません。

上松町から支援してくださった方に感謝感謝です。
家族になりかわってお礼を申し上げます。

 

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2011.03.18

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2011.03.18

東日本大震災後
本当に多くの方から温かい励ましのお手紙やメ―ルを頂戴しています。
本当に本当にありがとうございます。

仙台の実家とやっと連絡がとれ家族の無事が確認できましたが、
名取市に住んでいた親戚が、津波にのみこまれて命を落としました。

なかなか会えない親戚でしたが、
1年半前、妹の結婚式で会った時の笑顔を思い出すと
やりきれない気持ちでいっぱいになります。
どんなに怖かったことか。
最期の瞬間、何を思ったのか。

未だ安否もわからい親戚もいますが、
きっと無事でいてくれるはずです。


実家は水・ガスのない生活が1週間続いています。
「今、降ってきた雪を必死でかき集めて、風呂にためている。
なんとか半日しのげるか」と家族。
泣いていられない程、
被災地で残された人達は生きるのに精一杯です。

今、この瞬間にも生きぬこうとしている人達がいることを
どうか皆さん忘れないでください。

生きている。
それだけで奇跡です。


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2011.03.12

目を疑う惨状。
胸が痛い。
自分の生まれ育った故郷が、ズタズタになっている。

津波に飲み込まれた宮城県の海岸沿いは
小さい頃、夏休み、家族で訪れた思い出の場所だ。
地震火災に襲われた気仙沼は
母の田舎に遊びにいく時の通り道。
車窓から、ぼんやり眺めていた穏やかな町並みは
焼け野原になっている。

家族はメールで何とか安否が確認できたが
未だライフラインが寸断されたままだ。

寒い思いはしていないだろうか
お腹はすいていないだろうか
不安と疲れで、生きる希望を失っていないだろうか
離れているからこそ思いばかり募る

巨大地震が一瞬にして私のふるさとを奪っていった。

どうかどうか1人でも多くの命が助かりますように。
これ以上、哀しい思いをしませんように。
ただただ祈るばかりです。

[ プライベート ]


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